グラント(読み)ぐらんと(英語表記)Ulysses Simpson Grant

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グラント」の意味・わかりやすい解説

グラント(John Graunt)
ぐらんと
John Graunt
(1620―1674)

政治算術political arithmeticの創始者。ロンドンで小間物商を営み、毛織物商組合員の特権をもつ富裕な商人であったが、市民革命の際には議会軍の将校として活躍した。その間、W・ペティと知り合い、ベーコンの思想に共鳴する2人は、社会現象も自然現象と同様に数量的観察によって合則性を明らかにしうるものとし、相協力して社会経済の数量的研究を行うこととなった。これが政治算術であり、経済学と統計学との未分化の段階での源流をなすものである。彼の主著『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』Natural and Political Observations Mentioned in a Following Index, and Made upon the Bills of Mortality(1662)は、当時のイギリス人口の急激な変動の諸要因を、埋葬や洗礼に関する資料を基に分析したものであるが、その手法は近代的統計的研究方法や人口学的手法の先駆をなすものとなった。この著によって彼の名声は国の内外に高まり、イギリス王立協会会員にも推薦されたが、1666年のロンドンの大火で家産を失い、晩年は不遇であったといわれる。

木村太郎

『久留間鮫造訳『死亡表に関する自然的および政治的諸観察』(『統計学古典選集Ⅲ』所収・1941・栗田書店)』『松川七郎著『ウィリアム・ペティ』増補版(1967・岩波書店)』


グラント(Ulysses Simpson Grant)
ぐらんと
Ulysses Simpson Grant
(1822―1885)

アメリカ合衆国第18代大統領(在任1869~77)。4月27日オハイオ州に生まれる。陸軍士官学校卒業(1843)後、軍隊に勤務、その間にメキシコ戦争に従軍。退役後、農業、不動産業を営み、のちに父親の革製品業を助けた。南北戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、大佐としてイリノイ州義勇歩兵連隊を率いた。戦場での定石を破る強引な戦いで数々の武勲をあげ、1864年北軍総司令官になり、翌年アポマトックスにおいてリー将軍の率いる南軍を降服させて、南北戦争終結の大きな契機をつくった。戦後、陸軍臨時長官に任命された。68年の大統領選挙に共和党から出馬し当選、南部再建政策を、北部産業資本の利害を推進する共和党急進派に近い立場から遂行した。しかし2期目(1873~77)には南部改革の熱意はしだいに衰え、贈賄汚職事件も起こった。引退後、世界一周旅行の途中日本を訪問(1879)、琉球(りゅうきゅう)問題について日中間の調停を試みた。その後破産したが、回顧録を書き、鉄道会社社長に就任し、ふたたび財産を築いた。85年7月23日死去。

[竹中興慈]



グラント(Cary Grant)
ぐらんと
Cary Grant
(1904―1986)

アメリカの映画俳優。イギリスのブリストル生まれ。祖父が俳優であったため演劇に興味をもち、渡米してニューヨークの舞台を経て1932年に映画界に入る。初期は平凡な二枚目であったが、しだいにイギリス風の洒脱(しゃだつ)な風格をもつ二枚目大スターとなった。代表作に『コンドル』(1939)、『フィラデルフィア物語』(1940)、『毒薬と老嬢』(1943)、『めぐり逢(あ)い』(1957)、『シャレード』(1963)をはじめ、ヒッチコック監督との『断崖(だんがい)』(1941)、『汚名』(1946)、『泥棒成金』(1955)、『北北西に進路を取れ』(1959)の4作がある。

[畑 暉男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グラント」の意味・わかりやすい解説

グラント
Grant, Cary

[生]1904.1.18. イギリス,ブリストル
[没]1986.11.29. アメリカ合衆国,アイオワ,ダベンポート
イギリス生まれのアメリカ合衆国の映画俳優。本名 Archibald Alexander Leach。長年にわたりハリウッド映画界きっての二枚目スターとして人気を誇った。すさんだ家庭と貧しさから逃れるため,13歳で家出。旅芸人一座の曲芸師となり,1920年に巡業先のアメリカに移住した。1932年パラマウント・ピクチャーズと契約を結び,経営陣からケーリー・グラントの芸名を与えられた。1941年,この芸名を本名とした。1930年代後半から 1940年代初めにかけて,ロマンチック・コメディとアクション・アドベンチャー映画で人気を確立。『ヒズ・ガール・フライデー』His Girl Friday(1940)は,映画史上最高の傑作コメディに数えられる。また,アルフレッド・ヒッチコック監督と組んだ作品群は両者にとって会心作となり,グレース・ケリーとのアドリブの演技が評判を呼んだ『泥棒成金』To Catch a Thief(1955)や,集大成と呼ぶにふさわしい『北北西に進路を取れ』North by Northwest(1959)などの名作を生み出した。アカデミー賞には 2回ノミネートされたが受賞にはいたらず,1969年アカデミー賞名誉賞を受賞している。

グラント
Grant, Ulysses S.

[生]1822.4.27. オハイオ,ポイントプレザント
[没]1885.7.23. ニューヨーク,マウントマックグレゴール
アメリカ合衆国の軍人,政治家。本名 Hiram Ulysses Grant。第 18代大統領 (在任 1869~77) 。南北戦争時の連邦軍総司令官。南北戦争勃発の際,エブラハム・リンカーン大統領の要望により北軍兵士の徴募,訓練にあたり,西部地域の諸作戦を指揮し,1864年3月北軍の総司令官に任じられた。同 1864年5~6月,ロバート・E.リー将軍の率いる南軍をミシシッピ川の線で分断し,リーの軍団をリッチモンド付近のピーターバラに固定させ,1865年4月,リーのピーターバラ防衛線を破ってアポマトックスで降伏させた。南北戦争後,共和党急進派から推されて,1869年大統領に就任。しかし,2期にわたる大統領在任中に政府と実業家との癒着が深まり,不正腐敗が続出した。 1884年以降文筆生活に入り,『センチュリー・マガジン』誌に寄稿した回想録は『グラントの回想録』 The Personal Memoirs of U. S. Grant (2巻,1885~86) として出版された。

グラント
Grant, James Augustus

[生]1827.4.11. ネアン
[没]1892.2.11. ネアン
イギリスの軍人,アフリカ探検家。 1861年以降,友人 J.スピークに同行して,ナイル川の源を求めるのに協力。アフリカの赤道地帯を踏査した。その旅行記が,『アフリカ徒行』A Walk Across Africa (1864) である。 68年エチオピア遠征に参加。

グラント
Grant, Duncan James Corrowr

[生]1885.1.21. スコットランド,ローシーマーカス
[没]1978.5.10. オールダーマストン
イギリスの画家。パリで学んだのち,1913~19年ブルームズベリー・グループの代表者の一人となる。 R.フライとともにイギリス画壇に後期印象派を導入した最初の画家の一人とされている。

グラント
Grant, Sir Francis

[生]1803
[没]1878
イギリスの画家。細密画法で狩猟を題材とした多くの絵を描いて名声を博した。 1851年ロイヤル・アカデミー会員,66年同会長。主要作品『2匹のスタッグハウンド犬とウォルター・スコット』 (1831,エディンバラ,国立肖像絵画館) 。

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