バイバルス1世(その他表記)Baybars Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「バイバルス1世」の意味・わかりやすい解説

バイバルス[1世]
Baybars Ⅰ
生没年:1228ころ-77

マムルーク朝の第5代スルタン。在位1260-77年。キプチャク生れのトルコ人で,モンゴル軍の捕虜となってシリアへ売られ,次いでアイユーブ朝のスルタン,サーリフマムルーク(奴隷軍人)となり,1250年マンスーラの戦でルイ9世を捕虜にしてから頭角を現した。60年にアイン・ジャールートの戦でモンゴル軍を撃退した後,マムルーク朝スルタン,クトゥズを殺して自らスルタンとなり,アッバース朝カリフの擁立に続いてスンナ派四法学派を公認,さらにバリード網を整備してマムルーク朝国家の基礎を確立した。東方の守りを固めてモンゴルの侵入を防ぐ一方,71年から対十字軍戦争を積極的に遂行して,カエサリア,ヤーファーアンティオキアなどの諸都市を次々と攻略した。17年の治世の間に38回のシリア遠征を行い,その輝かしい治績は〈アラブの英雄譚〉として今もなお巷間に語り継がれている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のバイバルス1世の言及

【駅伝制】より

…アイユーブ朝にも整備された駅伝制はなく,かつてのバリードが再建されるのは,エジプト・シリアにマムルークの政権が樹立される13世紀半ば以後のことである。マムルーク朝の第5代スルタン,バイバルス1世(在位1260‐77)は,十字軍やモンゴル軍の動静を探るために,アッバース朝とモンゴルの駅伝制(ジャムチ)の伝統をとり入れて新たなバリードを組織した。最初のバリードはカイロ~ダマスクス間に設置されたが,やがてエジプト国内やシリアの北部および海岸地帯へも順次拡大していった。…

【エジプト】より

…第7代スルタン,サーリフ(在位1240‐49)は強力なマムルーク軍団を編制して君主権の強化を図ったが,やがてこれらのマムルークはクーデタを起こしてマムルーク朝(1250‐1517)を樹立した。アイン・ジャールートの戦(1260)でモンゴル軍のエジプト侵入を阻止した第5代スルタン,バイバルス(在位1260‐77)は,シリアに残存する十字軍勢力と戦う一方,アッバース家のカリフをカイロに擁立(1261)して,イスラム世界におけるマムルーク朝の威信を高めた。アミールやマムルーク騎士にはアイユーブ朝時代と同様にイクターが与えられ,その支配の下で稲やサトウキビの栽培はさらに発展し,カーリミー商人や奴隷商人が,インド洋・地中海貿易で活躍する基礎が固められていった。…

【マムルーク朝】より

アイユーブ朝の奴隷軍団であったバフリー・マムルーク軍は,1250年クーデタを起こして新王朝を樹立し,宮廷女奴隷出身のシャジャル・アッドゥッルを初代スルタンに推戴した。第2代スルタンのアイバクはシリアに残存するアイユーブ朝勢力をたたき,上エジプトのアラブの反乱を鎮圧したが,王朝の基礎を固めたのは第5代スルタンのバイバルス1世であった。彼はアッバース朝カリフの擁立やバリード(駅逓)網の整備によって国内体制の強化に努め,外に対してはシリアに残存する十字軍勢力と戦う一方,キプチャク・ハーン国と結んでイル・ハーン国の西進を阻止,またヌビアにも遠征して西アジアにマムルーク朝の覇権を確立した。…

※「バイバルス1世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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