改訂新版 世界大百科事典 「アインジャールートの戦」の意味・わかりやすい解説 アイン・ジャールートの戦 (アインジャールートのたたかい) 1260年9月3日,パレスティナの小村アイン・ジャールート`Ayn Jālūtで行われたマムルーク朝軍とモンゴル軍との戦い。バグダードに続いてシリアを攻略したフレグ・ハーンは,さらに南下してエジプトをうかがったが,マムルーク朝のスルタン,クトゥズは全軍を率いてこれを迎え撃ち,バイバルスの活躍によってモンゴル軍は敗走,将軍キトブカも戦死した。この勝利は西方イスラム世界へのモンゴルの侵入を断ち切るとともに,マムルーク朝の国際的な地位の向上をもたらした。執筆者:佐藤 次高 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by