アンティオキア(読み)あんてぃおきあ(英語表記)Antiochia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンティオキア」の意味・わかりやすい解説

アンティオキア(トルコ)
あんてぃおきあ
Antiochia

トルコ南東部の都市アンタキヤ旧名セレウコス朝(シリア王国)の首都として、紀元前300年セレウコス1世(在位前312~前280)が建設した都市で、その父アンティオコスを記念してアンティオキアと命名された。最初の住民は近くの都市から移住させられた約5000人のギリシア人、マケドニア人で、その後は原住民や新しい移住者も受け入れ、またユダヤ人の集団に対してはセレウコス1世以来特権が与えられていたという。王朝の首都であるとともに、その位置は東方のシルク・ロードからの隊商路の一つの終点でもあり、地中海に対しては外港セレウケイアSeleukeiaを通じて交流があり、「東方の女王」ともよばれる通商、貿易、宗教、文化の中心地であった。

 前64年ローマに滅ぼされるとともに属州シリアの首都となり、シリア総督のもとに自由市として引き続き繁栄した。前47年にはカエサルも訪問しており、歴代皇帝もこの都市の建設や修復に貢献した。キリスト教の異邦人伝道の基地としても有名で、『新約聖書』にもしばしば記録され、信者がここで初めてキリスト者とよばれるようになったと伝えられている。アジアの総大司教座所在地として、宗教会議も開かれることが多かった。しかし、6世紀の大地震とササン朝ペルシア軍の攻撃により破壊され、ユスティニアヌス皇帝の努力にもかかわらず繁栄は回復しなかった。7世紀のアラブの占領後はセルジューク・トルコ、十字軍などに占領されて、16世紀にオスマン・トルコの統治下に入った。

[糸賀昌昭]


アンティオキア(コロンビア)
あんてぃおきあ
Antioquia

南アメリカ、コロンビア中西部の県。コルディエラ・セントラル山脈の北部とカウカ川の中流域を占める。面積6万3612平方キロメートル、人口530万(1999推計)。県庁所在地はメデリン(現地ではメデジン)。コロンビア最大の生産県で、コーヒー、トウモロコシ、綿花、大豆サトウキビ、バナナ、果樹の栽培が、河谷から3000メートルを超す山地の斜面を利用して発達している。農牧業と鉱産物の集散・加工によって発展した中心都市メデリンは同国最大の商工業都市で、カウカ川の船運と、鉄道、幹線道路でカリブ海の港市に連絡している。

[山本正三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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