パッサウ条約(読み)パッサウじょうやく(英語表記)Passauer Vertrag

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パッサウ条約」の意味・わかりやすい解説

パッサウ条約
パッサウじょうやく
Passauer Vertrag

1552年8月2~5日,バイエルンパッサウで,プロテスタントモーリッツ・フォン・ザクセンと神聖ローマ皇帝カルル5世の代理者フェルディナント (のちのフェルディナント1世 ) との間に結ばれた講和条約。カルルの旧教化政策に対し,ドイツのプロテスタント諸侯がフランス王アンリ2世の軍事援助を得て起した反乱を終結させたもの。皇帝は宗教紛争に関して,これをきたるべき帝国議会までの一時休戦としかみなさなかったが,事実上アウクスブルクの和議に道を開くこととなった。

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世界大百科事典(旧版)内のパッサウ条約の言及

【モーリツ】より

…ドイツのザクセン公。在位1541‐53年。ルター派であったが,宗教にとらわれることなく政治的に行動し,宗教戦争中のドイツの政治情勢を左右した。20歳でアルベルト系ザクセン公家を継ぎ,シュマルカルデン戦争で皇帝カール5世の側について,エルンスト系ザクセン領の一部と選帝侯位を譲渡させたが,1552年プロテスタント諸侯の側に回って皇帝を破り,パッサウPassau条約を結ばせて,皇帝のカトリック強制政策を撤回させた。…

※「パッサウ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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