改訂新版 世界大百科事典 「軍事援助」の意味・わかりやすい解説
軍事援助 (ぐんじえんじょ)
military assistance
一国が他国の軍事力を強化し,補充するために武器,装備,関連施設,訓練あるいは財政的支援を供与すること。ただし広義の軍事援助には,戦時その他の非常時に条約上の義務として行われる兵力援助も含まれる。また,軍事援助は他国の政府に与えられるとは限らず,他国の反政府団体に与えられる場合もある。さらに,形式的には経済援助であっても,実質的には軍事的意義をもつ援助もある(例えばアメリカの対外援助項目の中にある経済支持援助Economic Support Fund(略称ESF)はもっぱら安全保障上の考慮に基づいて供与される経済援助である)。
アメリカは第2次世界大戦中,武器貸与法Lend-Lease Actに基づいて大量の軍事物資を連合国に供与した。戦後はソビエト共産主義勢力に対抗し,その拡張を封じ込めるという世界戦略の一環として,西欧諸国および共産圏に近接する諸国に対し積極的に経済・軍事援助を供与する方針をとった。1947年3月12日に発表されたトルーマン・ドクトリン,同年6月5日に発表されたマーシャル・プランがその出発点であったが,50年代半ばまでのアメリカの軍事援助は,(1)援助受入国の大多数が2国間あるいは多数国間の同盟条約によりアメリカと軍事的に密接に結びつけられていたこと,(2)援助の大半が無償で行われたこと,という特徴を有していた。51年に制定された相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)は,それまでさまざまな立法によって行われていた経済・軍事援助を一本化したものだが,同法はアメリカの援助受入国に対し,自国および自由世界の防衛のための努力を義務づけた。しかし55年にソ連がチェコスロバキアを通じエジプトに武器を供給し,非共産主義国への軍事援助に初めて踏み切ったことから,アメリカもまた同盟国以外の第三世界諸国に積極的に軍事援助を供与するようになった。以後米ソ両国は,主として第三世界において自国の影響力を強め,相手の影響力を弱めるというねらいから,激しい軍事援助競争を展開したが,これによって第三世界諸国の軍事化が著しく進行した。他方,先進国向けのアメリカの軍事援助は1950年代末からしだいに無償から有償へと切り替えられ,60年代半ばには無償援助は姿を消したが,開発途上国向けの軍事援助もまた70年代初めから有償の比重が圧倒的に大きくなった。70年代以降は無償軍事援助よりも武器輸出に力点が置かれるようになったといえるが,この傾向はソ連についても同様である。
アメリカが現在実施している軍事援助は,(1)軍事援助計画Military Assistance Program(略称MAP。アメリカがとくに必要と認める国に軍事物資および関連役務を無償で供与するもの),(2)国際軍事教育訓練計画International Military Education and Training Program(略称IMET。アメリカがとくに必要と認める国の軍人に教育・訓練の実施を無償で供与するもの),(3)対外軍事売却借款Foreign Military Sales Credits(略称FMS借款。アメリカの企業から武器などの軍事物資および関連役務を割賦で購入しようとする国に対しアメリカ政府が金利の一部または全部を補給し,あるいは代金を肩代りするために与える借款援助),の三つのカテゴリーに分かれている。そのほかに経済支持援助があるが,対象はほとんど開発途上国に限られている。1982会計年度についてみると,アメリカの軍事援助の総額は10億8050万ドル(内訳は軍事援助計画2億3850万ドル,国際軍事教育訓練計画4200万ドル,対外軍事売却借款8億ドル),また経済支持援助の総額は26億2350万ドル(いずれも授権法で定められた額)となっているが,同会計年度におけるアメリカの武器輸出成約額195億ドルと比べれば,軍事援助の比重はかなり小さくなっているといえる。
→NATO(ナトー) →ワルシャワ条約機構
執筆者:木村 修三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報