パッサウ(その他表記)Passau

デジタル大辞泉 「パッサウ」の意味・読み・例文・類語

パッサウ(Passau)

ドイツ南東部、バイエルン州都市ドナウ川イン川、イルツ川の合流地点に位置し、古代ローマ時代から交通要衝として発展。後期ゴシック様式の市庁舎、世界最大級のパイプオルガンを有する大聖堂などの歴史的建造物が残っている。ボヘミア地方の影響を受けたガラス工芸が盛ん。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パッサウ」の意味・わかりやすい解説

パッサウ
Passau

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。オーストリアに接し,イン,イルツの両河川がドナウ川に合流する地点に位置する。初めはケルト人の居住地,のちローマの軍営地となり,739年には司教座がおかれた。 1217年には司教神聖ローマ帝国諸侯となり,自治を求める市民の反抗を押えて 1803年までパッサウを支配した。 17世紀後半には2度の大火があったため,市街はバロック風であるが,市の建築物を代表する大聖堂 (1668年。パイプ数1万 7000の世界最大級の教会オルガンをもつ) は,初期ゴシック様式の遺構を残している。ほかに司教支配時代の各様式を反映させた数多くの聖堂,司教宮殿 (1712~30) ,ゴシック様式の市庁舎 (1298~1389) など歴史的建築物が多く,訪れる人が多い。中世は塩の取引,刃物製造の中心地であったが,現在では刃物のほか,鋳物,歯車,光学機械などの製造工業が稼働。人口5万 328 (1991推計) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「パッサウ」の意味・わかりやすい解説

パッサウ
Passau

ドイツ南東部,バイエルン州の都市。人口5万1000(1991)。オーストリアとの国境に接し,イン川とイルツIlz川がドナウ川に合流する地点に位置。ローマ時代のケルト人の城塞が起源。8世紀に大聖堂が建てられ,東部への布教の中心となる。10世紀に帝国内水路の関税を免除され,13世紀に都市法を得た。17世紀にイエズス会の学校ができた。1803年に司教領が解体されバイエルン領となる。17世紀にバロック様式で改築された大聖堂を中心に美しい市街を残す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パッサウ」の意味・わかりやすい解説

パッサウ
ぱっさう
Passau

ドイツ南東部、バイエルン州、オーストリアとの国境に接する都市。人口5万0500(2000)。ドナウ川、イン川、イルツ川の3河川が合流する地点に位置し、ローマ時代から交通の要地として発達し、739年には司教所在地となって栄えた。その後、17世紀の二度の大火、18世紀の司教区の縮小などから衰退し、19世紀の工業化の波にも乗り遅れた。もっとも古い市街地はドナウ川とイン川に挟まれた細長い部分で、歴史的建造物が残る。階段のある狭い通りに沿って数階建ての民家が並び、ローマの影響がしのばれるほか、後期ゴシック様式の市庁舎(13~14世紀)、世界最大の教会オルガンをもつ大寺院などがある。

[石井英也]

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世界大百科事典(旧版)内のパッサウの言及

【モーリツ】より

…ルター派であったが,宗教にとらわれることなく政治的に行動し,宗教戦争中のドイツの政治情勢を左右した。20歳でアルベルト系ザクセン公家を継ぎ,シュマルカルデン戦争で皇帝カール5世の側について,エルンスト系ザクセン領の一部と選帝侯位を譲渡させたが,1552年プロテスタント諸侯の側に回って皇帝を破り,パッサウPassau条約を結ばせて,皇帝のカトリック強制政策を撤回させた。【中村 賢二郎】。…

※「パッサウ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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