デジタル大辞泉 「ピッグス湾事件」の意味・読み・例文・類語
ピッグスわん‐じけん【ピッグス湾事件】
[補説]1959年1月のキューバ革命後、カストロ政権は東側諸国との連携を強め、社会主義的な改革を推進。産業を国有化し、米系企業の資産を接収したことから、米国は1960年1月、キューバとの国交を断絶した。侵攻作戦はアイゼンハワー政権下で計画され、ケネディ政権下で実行された。事件後、カストロは、キューバ革命が社会主義革命であったと宣言。ソ連との友好関係を深める中、1962年、同国への核ミサイル配備をめぐって米ソが対立するキューバ危機が起きた。