映画監督。東京生まれ。本名清太郎。学徒出陣を経て弘前(ひろさき)高等学校卒業。松竹大船から日活へ移籍して、1956年(昭和31)に初監督、『暗黒街の美女』(1958)より清順と改名した。美術監督の木村威夫(たけお)の協力で、『野獣の青春』『春婦伝』『河内(かわち)カルメン』『けんかえれじい』など、大胆な省略と斬新(ざんしん)な表現によるひねった様式で1960年代のファンを魅了したが、1968年に突然日活を解雇され裁判に発展した。以後不遇であったが、1980年公開の『ツィゴイネルワイゼン』が絶賛され、変わったB級アクション監督というそれまでの評価が訂正された。以後『陽炎座(かげろうざ)』(1981)、『カポネ大いに泣く』(1985)、『夢二』(1991)がある。また、俳優としてテレビ出演などもしていた。
[出口丈人]
港の乾杯 勝利をわが手に(1956)
帆綱は唄う 海の純情(1956)
悪魔の街(1956)
浮草の宿(1957)
8時間の恐怖(1957)
裸女と拳銃(1957)
暗黒街の美女(1958)
踏みはずした春(1958)
青い乳房(1958)
影なき声(1958)
らぶれたあ(1959)
暗黒の旅券(1959)
素っ裸の年令(1959)
13号待避線より その護送車を狙え(1960)
けものの眠り(1960)
密航0ライン(1960)
すべてが狂ってる(1960)
くたばれ愚連隊(1960)
東京騎士隊(1961)
無鉄砲大将(1961)
散弾銃の男(1961)
峠を渡る若い風(1961)
海峡、血に染めて(1961)
百万弗(ドル)を叩き出せ(1961)
ハイティーンやくざ(1962)
俺に賭けた奴ら(1962)
探偵事務所23 くたばれ悪党ども(1963)
野獣の青春(1963)
悪太郎(1963)
関東無宿(1963)
花と怒濤(どとう)(1964)
肉体の門(1964)
俺たちの血が許さない(1964)
春婦伝(1965)
悪太郎伝 悪い星の下でも(1965)
刺青(いれずみ)一代(1965)
河内カルメン(1966)
東京流れ者(1966)
けんかえれじい(1966)
殺しの烙印(らくいん)(1967)
木乃伊(ミイラ)の恋(1970)
悲愁物語(1977)
ツィゴイネルワイゼン(1980)
陽炎座(1981)
春桜(1983)
カポネ大いに泣く(1985)
ルパン三世 バビロンの黄金伝説(1985)
夢二(1991)
弘高(ひろこう)青春物語(1992)
結婚~第一話「陣内・原田両家篇」(1993)
ピストルオペラ(2001)
オペレッタ 狸御殿(たぬきごてん)(2004)
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…現代日本の映画作家として特異な位置を占める鈴木清順(1923‐ )の代表作の一つで,1966年の日活映画。鈴木隆の同名小説を原作に新藤兼人が脚本を書いた。…
※「鈴木清順」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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