プリマス植民地(読み)プリマスしょくみんち(英語表記)New Plymouth Colony

改訂新版 世界大百科事典 「プリマス植民地」の意味・わかりやすい解説

プリマス植民地 (プリマスしょくみんち)
New Plymouth Colony

1620年,メーフラワー号でアメリカへ渡航したピルグリム・ファーザーズらが建設した,ニューイングランドにおける最初の植民地(現在のマサチューセッツ州東部)。彼らは勅定特許状Royal Charterを取得できなかったが,同年11月11日〈メーフラワー・コンパクト〉が起草・署名され,これが植民地支配の法的源泉となった。新大陸の冬は厳しく,約半数の人々が病で倒れた。人々はインディアンの協力を得て農業を開始し,翌年秋には最初の収穫を手にしたが,食料不足はなお数年続いた。27年出資者団との関係を清算して事実上自治植民地となり,人口もしだいに増加した。しかし,プリマスの地は耕地に乏しく,漁業にも適さなかったため,経済活動は低調に終始した。91年マサチューセッツ植民地に合併される結果となったが,その歴史的役割は,〈マサチューセッツ植民地の指導者たちは,プリマス植民地の人々が切り開いた道をただ歩んだだけにすぎない〉との史家アダムズJames Truslow Adams(1878-1949)の言葉に尽きる,といえよう。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のプリマス植民地の言及

【アメリカ・インディアン】より

ポカホンタスとジョン・ロルフの〈結婚の平和〉も,友好というよりは恐怖の均衡であり,1622年のポーハタン族の大蜂起に結果し,以後20年抵抗がやむまで征服戦争がつづいた。ニューイングランドのプリマス植民地の場合も,一方でワムパノアグ族族長マサソイットとは友好関係が結ばれたが,他方で近隣の多くの諸部族とは敵対し,入植2年後の1622年にはプリマス軍はマサチューセッツ族の族長4人を謀殺し,その首を棒に突きさし20年間もプリマス砦の上にさらした。30年に植民が開始されたマサチューセッツ植民地でも,7年後の37年にピークオート戦争がおこり,500人のピークオート族が虐殺された。…

※「プリマス植民地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android