出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
神奈川県南東部、三浦半島の南端にある市。1955年(昭和30)三崎、南下浦(みなみしたうら)の2町と初声(はつせ)村が合併して市制施行。京浜急行電鉄久里浜線、国道134号が通じる。南端の城ヶ島(じょうがしま)は天然の防波堤をなし、遠く南方海上からの漂着や渡来についての伝説を多くもつ。城ヶ島に守られる三崎地区は歴史の古い港を中心に栄えた市街地で、産業・経済活動の核をなす。三崎漁港は遠洋マグロ漁業の基地として知られる。城ヶ島は三崎と城ヶ島大橋によって直結し、県立公園に指定され、植物保護区のほかは各種の近代的観光・休養施設が設けられ、マリンパーク(2021年閉館)のある油壺(あぶらつぼ)とともに三浦半島観光の中心となっている。三崎市街地の北に続く平らな台地は海食台地で、冬出荷するダイコン(三浦ダイコン)や野菜、草花の栽培で知られる。北東の浦賀水道に臨む三浦海岸は京浜急行電鉄の開通に伴って開けた海浜レクリエーション地区で、金田海岸、剱崎(つるぎざき)も臨海休養地として知られ、西部の和田海岸には県立三浦ふれあいの村が設けられている。
三浦市はまた、自然、歴史、民俗芸能などの文化財の宝庫とされている。諸磯(もろいそ)の隆起海岸は、侵食谷に臨む第三紀凝灰岩の絶壁にみられる穿孔(せんこう)貝がつくった4段の穴の遺跡で、平安(818)、江戸(1703)、大正(1923)3時代の大地震前の汀線(ていせん)を示すもので国指定天然記念物。三崎の漣痕(れんこん)、城ヶ島のウミウ、ヒメウ、クロサギの生息地はともに県指定天然記念物。諸磯遺跡は縄文時代前期の遺跡として知られる。毘沙門(びしゃもん)の洞穴(どうけつ)群は県指定史跡。宮川の神明社と下宮田の若宮神社の湯花神楽(ゆばなかぐら)、三戸(みと)のおみしめさま(道祖神像)の行事、毘沙門と大乗(おおのり)の獅子舞(ししまい)、南下浦町菊名の白山神社の飴屋踊(あめやおどり)は貴重な民俗芸能である。また海南神社のチャッキラコ、三戸のオショロ流し(お精霊流し)は国指定の重要無形民俗文化財。面積32.05平方キロメートル、人口4万2069(2020)。
[浅香幸雄]
神奈川県南東部,三浦半島先端部の市。1955年三崎町を中心に市制。人口4万8352(2010)。遠洋漁業基地三崎港をもつことで知られる。三崎港は東京湾口の浦賀水道に臨み,江戸時代は風待港,避難港であった。漁港としても早くから利用されたが,遠洋漁業基地となったのは大正後期の動力船の時代からである。昭和初期には岸壁,魚市場などが整備され,京浜の大市場をもつことからマグロはえなわ漁業基地として東日本随一の漁港となった。第2次大戦後,出漁する漁場は拡大されたが,陸上交通路の不備などのため,水揚高は伸びなやんでいる。三崎港背後の台地は三浦ダイコンの産地として知られたが,いまはスイカ,キャベツの生産で知られる。三崎港の南には城ヶ島大橋で結ばれる城ヶ島があり,相模湾岸にはヨットハーバーやマリンパークのある油壺の入江がある。京浜急行線が1966年には三浦海岸駅まで延長され,75年には三崎口駅まで通じて,京浜への通勤圏内に入ったため,住宅地化も急速に進んでいる。
執筆者:伊倉 退蔵
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李氏朝鮮の前期に日本船の来航を許可した三つの港。慶尚道南岸の薺浦(せいほ)(乃而浦(ないじほ))・富山浦(ふざんほ)(釜山)・塩浦(えんぽ)の3港。15世紀初頭,興利船(こうりせん)の入港地を薺浦・富山浦の2港に限定,1423年(応永30)には使送船の出入りも2港に制限された。対馬からの浦所の増設要求に対して,26年に塩浦を開港。各浦に倭館(わかん)が設置され,対馬島民を中心とする恒居倭人が居住し,対馬からの代官による徴税・検察が行われた。密貿易の舞台にもなり,港湾都市として発達した。「海東諸国紀」は74年(文明6)当時の各浦の地図を収めている。1510年(永正7)の三浦の乱後,12年の壬申(じんしん)約条により薺浦1港のみ,ついで富山浦を開港したが,47年(天文16)以降は富山浦のみとなる。
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…また高麗時代に勢力をもった仏教を統制して禅・教2宗に統合する一方,儒学をすすめ,《治平要覧》《五礼儀》《三綱行実》などを編纂させた。対外政策も積極的に進め,豆満江,鴨緑江まで領土を拡大して南部地方の住民を移住させ,さらに倭寇の本拠地を壊滅させるべく対馬を攻撃(応永の外寇)したが,のちに三浦(さんぽ)(乃而(ないじ)浦,富山浦,塩浦)を開港し,対馬島主宗氏を介して日本との勘合貿易を開始した。【吉田 光男】。…
…日本からの渡航者は,はじめ南沿岸の浦所に随時停泊して交易を行うことを許されていたが,これもやがて朝鮮側が開港場を指定し,そこに応接所兼交易所(倭館)を設けて,他港への出入りを禁じた。開港場は,富山浦,薺浦(せいほ),塩浦の3ヵ所で,これを三浦(さんぽ)と称する。ところが1510年(永正7)ここの日本人定住者による暴動事件(三浦の乱)が起こり,日朝貿易は一時的に断絶した。…
…また,投降する倭寇(投化倭人)には朝鮮内に土地・家財を与えて安住させ,通商を求める西日本の諸大名・豪族層(使送倭人)や商人(興利倭人)には富山浦(釜山),薺浦(せいほ)(乃而浦(ないじほ)。熊川),塩浦(蔚山(うるさん))の三浦(さんぽ)を開港して貿易を認めた。その結果,倭寇は急速に減少し,1404年には日本国王(足利将軍)と朝鮮国王との対等な善隣関係として日朝間の国交が開かれた。…
※「三浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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