マイスター・ベルトラム(読み)マイスターベルトラム

百科事典マイペディア 「マイスター・ベルトラム」の意味・わかりやすい解説

マイスター・ベルトラム

14世紀後半の北方ドイツの代表的画家一人で,ミンデンに生まれ,おもにハンブルク活動。現存作品は少ないが,ハンブルクの聖ペテロ教会聖ヨハネ教会のために聖書から主題をとった祭壇画を描いた。

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世界大百科事典(旧版)内のマイスター・ベルトラムの言及

【ゴシック美術】より

…ドイツの板絵は各地方に多様な発達をし,プラハ,ウィーンはイタリアの影響をうけ,国際ゴシック様式の系統をとり,ケルン派は14世紀に甘美な画風をもってあらわれ,15世紀にロホナーのような大画家を生む。ハンザ同盟諸市は民衆的な率直な画風をむかえ,14世紀から15世紀初めにハンブルクでマイスター・ベルトラムMeister Bertram von Minden(1340ころ‐1415ころ)が名高く,同じころコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ)はケルン派の様式をまじえ,マイスター・フランケは国際ゴシック様式に近づいている。フランスやネーデルラントでは15世紀初め,マルーエル,ブルーデルラムや,《ベリー公のいとも豪華な時禱書》の装飾をしたランブール兄弟らが国際ゴシック様式の最後をかざり,やがてファン・アイクは写実主義を徹底させ,油彩技法によって個人的視覚を確立して,新しい近代絵画の第一歩を踏み出す(ヘントのシント・バーフ教会の《神秘の小羊》大祭壇画,1432)。…

【ドイツ美術】より

… 建築が窓を広げてステンド・グラスを発達させていった(マールブルクのエリーザベト教会,ケルン大聖堂)のに比例して壁画が減少し,代わって板絵がそれまでのミニアチュールを抑えて指導的な絵画ジャンルとなる。教皇庁のあった南フランス,アビニョンを経由してプラハへ伝えられたシエナ派のマルティーニの影響は,14世紀後半のボヘミア絵画の基礎となり,次いでハンブルクへ感化をおよぼしてマイスター・ベルトラムMeister Bertram(1335ころ‐1415)の画面を生む。同じころ西方のパリやブルゴーニュ地方から流入してきた宮廷様式はマイスター・フランケやコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ)の優雅な形式に結実し,やがて〈聖ベロニカ〉の画家Meister der hl.Veronika(生没年不詳)やロホナーのケルン派において全盛期を迎える(国際ゴシック様式)。…

※「マイスター・ベルトラム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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