日本歴史地名大系 「一向堂町」の解説 一向堂町いつこうどうまち 福井県:敦賀市敦賀津内町一向堂町[現在地名]敦賀市相生(あいおい)町唐仁橋(とうじんがはし)町と中橋(なかのはし)町の間の辻子町。永禄元年(一五五八)六月五日付善妙寺領目録(同寺文書)に「一迎堂」、慶長三年(一五九八)七月の津内村検地帳(田保家文書)に「一かう堂」とみえる。「敦賀志」は町名の起源を「宮本家記」を引用し「若州ノ人神人一興(かずおき)室を堂となして一興堂と云」と記す。寛文三年(一六六三)の家数四七、うち家持四一・貸屋六(寛文雑記)、享保一一年(一七二六)の家数五一(指掌録)。天和二年(一六八二)には土器屋・桶屋・大工などがいた(遠目鏡)。当町には一二時に撞かれる「時の鐘」があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報