敦賀市(読み)ツルガシ

デジタル大辞泉 「敦賀市」の意味・読み・例文・類語

つるが‐し【敦賀市】

敦賀

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日本歴史地名大系 「敦賀市」の解説

敦賀市
つるがし

面積:二四九・四六平方キロ

県のほぼ中央に位置し、市域中央部に北から敦賀湾が湾入、東から南、西にかけて南条郡河野こうの村・今庄いまじよう町、滋賀県伊香いか郡・高島たかしま郡、三方郡美浜みはま町に囲まれる。南方から当市に入った国道一六一号が八号に疋田ひきたで合流、八号は北上して河野村へ抜け、若狭方面へは敦賀市街で二七号が分岐する。国鉄北陸本線・小浜線北陸自動車道も通る。

三方を山岳に囲まれ、平地は乏しい。西方は花崗岩からなる立石たていし半島が北方若狭湾に突出し、東部の秩父古生層よりなる鉢伏はちぶせ連峰に相対して敦賀湾を抱く。敦賀湾に面する浜堤上にある気比けひ松原は白砂青松が続く景勝地で国指定名勝。湾奥にしようノ川・井口いのくち川の形成した扇状地性三角州の小平野が広がる。市境の山岳は高峻で、野坂のざか(九一三・五メートル)を最高峰とし、河川は最長の黒河くろこ川にしても三〇キロに及ばない。

現敦賀市は敦賀郡一町六ヵ村が二次の合併を経て成立したもので、近世の敦賀郡域にほぼ等しい。(→敦賀郡

〔原始・古代〕

縄文・弥生遺跡は調査が進んでいないため現在までに確認されたものは少ない。縄文時代の遺物はやまかみ古墳群の第一号墳の墳丘中より中期の土器片・磨製石斧が発見されたほか、立洞たてぼら古墳群の第二号墳、向出山むかいでやま古墳群の第三号墳から土器片などが採集されているにすぎない。弥生遺跡はなか吉河よしこで集落の一端が検出された。古墳は小谷こたにほら古墳群(二基)が四世紀後葉のもので、嶺南地方で発見された古墳のなかでは最古のものに属する。次いで立洞古墳群の第二号墳(前方後円墳)明神山みようじんやま古墳群中の前方後方墳が古く、向出山古墳群の第一号墳などが続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「敦賀市」の意味・わかりやすい解説

敦賀〔市〕
つるが

福井県中央部にある市。敦賀湾に臨む敦賀平野を中心に,周辺の野坂山地,木ノ芽山地,敦賀半島東半部を占める。1937年敦賀町と松原村が合体,市制施行。1955年東浦村,東郷村,中郷村,愛発村,粟野村の 5村を編入して現市域となる。市名は古代以来の港名。中心市街地は扇状地末端にあり,湧水が見られる。日本海有数の良港を擁し,畿内と北陸を結ぶ交通路の要地でもあったため,古代から栄え,渤海使節を接待する松原客館が置かれた。近世には米,大豆,塩干物,茶などの交易が盛んで,北海道の松前こんぶを加工した「おぼろこんぶ」は,今日も特産となっている。1899年開港場に指定,1902年ロシアのウラジオストクとの間に定期航路が開設された。豊富な地下水に依存した合成繊維,地元の石灰石を利用したセメント,化学,水産加工などの工業がある。敦賀半島の先端浦底に敦賀原子力発電所,その西の白木に高速増殖炉もんじゅ」が立地。常宮神社気比神宮のほか,国指定名勝の気比の松原,柴田氏庭園,西福寺書院庭園,国指定史跡の金ヶ崎城跡武田耕雲斎等墓,中郷古墳群など観光資源も多く,近隣の海岸一帯とともに若狭湾国定公園に属する。中池見湿地杉津海岸一帯は越前加賀海岸国定公園に属する。JR北陸本線,小浜線,国道8号線,東部を北陸自動車道が通る。面積 251.41km2。人口 6万4264(2020)。

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