一志駅(読み)いちしのえき

日本歴史地名大系 「一志駅」の解説

一志駅
いちしのえき

「権記」寛弘二年(一〇〇五)一二月一三日条に「一志郡駅家」、翌一四日条に「一志駅家」とみえる。伊勢公卿勅使の伊勢参宮時の駅家で、鈴鹿(関)(現鈴鹿郡関町)の次駅にあたり、離宮りきゆう(現度会郡小俣町)に連絡する。「左経記」長元四年(一〇三一)条、「経信卿記」延久六年(一〇七四)条、「中右記」永久二年(一一一四)条、「顕広王記」長寛三年(一一六五)条のほか「西宮記」などにみえる。「雅実公記」長治二年(一一〇五)八月条にせき駅・渋山しぶやま雲津くもづ川・当駅、保曹久美ほそくみ岸江きしえ(現松阪市)櫛田くしだ川、斎宮さいくう(現多気郡明和町)離宮と経過したことがみえ、一七日条には「渡雲津河之間、船数少、人馬数多之上、駅家北路潮満、往還不通」とあって、当駅周辺の状況がわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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