七郎右衛門町(読み)しちろうえもんちよう

日本歴史地名大系 「七郎右衛門町」の解説

七郎右衛門町
しちろうえもんちよう

西横堀にしよこぼり川東岸浜通の片側町で、一丁目と二丁目がある。同川開削に関係した木屋(永瀬)七郎右衛門が開発した町。当初北久太郎町きたきゆうたろうまち通の南、坐摩ざま社裏側辺りまでを含む南北に細長い町であったが、のち七郎右衛門町・はま町・長浜ながはま町・七軒しちけん町に分れた(東区史)。当町の明暦元年(一六五五)年寄は木屋七兵衛(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)。寛文二年(一六六二)には屋敷数六二・役数五八役で、うち年寄分・会所分各一役が無役(同年「水帳」中之島図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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