日本歴史地名大系 「万久里村」の解説 万久里村まくりむら 兵庫県:養父郡関宮町万久里村[現在地名]関宮町万久里大谷(おおたに)村の西に位置し、地内を山陰道が横断する。集落は八木(やぎ)川に流入する支谷の北岸および山陰道に沿って発達。永禄四年(一五六一)二月吉日付の三宅宗善等連署契状(白岩文書)に「万久里新井」と所見。炎天によって万久里新井を掘ったところ、白岩家知行の田畠を違乱してしまい、種々詫言したものの同心を得られなかったので、能美源蔵人の取扱により和多田(わただ)村の替地を出すことで解決した。亀寿丸は幼少なので、三宅宗善ら三人が契状に署名すると記している。江戸時代初期は幕府領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by