日本歴史地名大系 「万代城跡」の解説 万代城跡まだいじようあと 大分県:下毛郡耶馬渓町福土村万代城跡[現在地名]耶馬渓町福土福土の尾川内(ふくつちのおがわうち)谷と福土の谷間に挟まれた馬の形をした山にあり、標高三七五メートル。万代平(まだいだいら)城・福土城・馬台(まだい)城の名称がある。大内氏の出城で、のち野仲氏の端城となったと考えられる。天文二年(一五三三)二月一三日の屋形宗諸軍忠状(屋形米二郎文書)によれば、大内義隆被官の屋形宗諸は「去年九月八日以来万代平令在城、雖為少分限、以具足十領遂在城馳走」をしており、前年一二月八日と一月八日に戦闘が行われている。天文二二年頃の四月二日の大内氏奉行人連署書状(恵良文書)に「妙見岳・万代両御城置物并御城衆等、被所見、銘々以目録注文言上令披露、被成御心得候、置物朽損分等之事、重而可被仰出之由候」とみえ、この城が大内氏の下毛郡の拠点であったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報