朝日日本歴史人物事典 「三原屋貞右衛門」の解説
三原屋貞右衛門
江戸中期,安芸(広島県)生口島瀬戸田の製塩業者。宝暦(1751~64)のころに製塩業の操業短縮を説いて活躍した。生産過剰による瀬戸内塩業の不況を打開するため,2月から9月の間を操業し,他の4カ月を休浜(「二九の法」と称した)を行って生産を制限し,秋冬の無益労働・諸費節約を提唱した。瀬戸内10州の各塩業地を遊説してまわり,賛同を得た安芸,備後,伊予の休浜が実行され,かなりの成果があったが,10年ほどでこの休浜盟約は協定違反者の続出によって瓦解(宝暦の瓦解)し,またもとの過剰生産による不況にもどった。阿波斎田浜の浜人である露滴は阿波塩田の盟約不参加を遺憾として,「西方の弥陀の教へに背きなば水に油をさした塩浜」という歌を貞右衛門に贈っている。<参考文献>三浦源蔵『塩製秘録』
(廣山堯道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報