日本歴史地名大系 「三条京極屋跡」の解説 三条京極屋跡さんじようきようごくかがりやあと 京都市:中京区生祥学区弁慶石町三条京極屋跡鎌倉幕府が設置した洛中警備のための武士詰所の一。「吾妻鏡」暦仁元年(一二三八)六月一九日条に「為洛中警衛、於辻々、可懸篝之由被定」とみえる。四八ヵ所あったという(太平記)が、この篝屋が当初からあったかは不明。嘉禎四年(一二三八)五月二四日の関東御教書案(東寺百合文書)には「為洛中守護、可被居置武士於縦横大路之末ニ候」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報