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篝屋 カガリヤ

百科事典マイペディアの解説

篝屋【かがりや】

鎌倉時代京・鎌倉警固にあたった武士の詰所。1238年洛中警固のため辻々で御家人火を焚かせるようになり,以後篝屋の制度が整備されていった。1240年には鎌倉にも設置。
→関連項目関東公事湯浅党

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世界大百科事典 第2版の解説

かがりや【篝屋】

鎌倉時代,警固のため京・鎌倉に設けられた武士の詰所。1238年(暦仁1)に京の辻々に造ったのが初めで,その2年後(仁治1)には鎌倉警固のためにも造られた。篝屋の内容の明らかな京都の場合,篝火には続松(ついまつ)が使われ,篝屋には太鼓が置かれた。篝屋での警固役を篝屋番役といい,その任には,在京の御家人があたったが,後には六波羅探題に奉公する西国の有力御家人がこれを務めるようになり,かれらは在京人と呼ばれた。

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大辞林 第三版の解説

かがりや【篝屋】

鎌倉時代、御家人役として京中警護に当たった在京武士の詰め所。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

篝屋
かがりや

鎌倉時代に御家人(ごけにん)役の一つとして京都の警備にあたった在京武士の宿衛所。彼らを篝屋守護人ともよぶ。1238年(暦仁1)将軍藤原頼経(よりつね)が京都滞在の際、市中の要所に篝屋を設け、夜は篝火をたいて治安の維持にあたったのを初めとする。以後しだいに整備され、市中48か所に設置。その場所はおおむね大路の交差する辻々(つじつじ)に設けられた。構造は『一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)』によれば5間に3間で幕布を垂れ、楯(たて)を備えていた。篝屋造営料、続松(ついまつ)料は別途に御家人役として調達されたが、違法行為のあった者に、所領没収のかわりに所領50丁に銭50貫の割で費用を負担させることや、京都大番役遅怠の者に1か月宛(あて)銭10貫を調達させることも行われた。1240年(仁治1)には京都に模して鎌倉の町辻にも設置された。
 篝屋守護は初め大番衆も勤仕したが、のちには西国に所領を有する御家人のなかから選ばれ、一族家人を率いて篝屋の一所を預り、六波羅探題(ろくはらたんだい)の統轄下に警固の任についた。彼らはその役所の名を冠して、五条京極(ごじょうきょうごく)篝屋などとよばれた。また在京人として大番役などの他の諸役が免除された。[五味克夫]

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世界大百科事典内の篝屋の言及

【辻】より

… 交通の要衝である辻には古来,道祖神をまつった辻社や辻堂など,種々の施設が置かれた。鎌倉時代の京都では,辻ごとに篝屋(かがりや)が置かれ,終夜篝火をたいて盗賊を防ぎ市中を守ったし,戦国時代になると,公家や町衆がみずから釘貫(くぎぬき)(門)や櫓を構築して町を自衛した。江戸時代には,町内ごとに木戸門をたて,夜間には通行を遮断した。…

※「篝屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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