三河の一向一揆

山川 日本史小辞典 改訂新版 「三河の一向一揆」の解説

三河の一向一揆
みかわのいっこういっき

戦国期に三河国でおこった一向一揆。三河国西部矢作(やはぎ)川流域(現,愛知県岡崎市)は本願寺門徒の多い地域で,本願寺一族の土呂(とろ)本宗寺,および佐々木上宮寺・野寺本証寺・針崎勝鬘(しょうまん)寺の三河4カ寺を中心に勢力を強め,寺内は不入権を獲得した。1562年(永禄5)秋に徳川家康家臣が寺内に強制立入りしたことをきっかけに門徒らは4カ寺にたてこもり,63年家康方との戦闘になった。家康家臣にも門徒として一揆に加わった者がおり,門徒にも家康家臣として一揆と戦った者もいるなど,武士たちの帰趨は複雑だったが,翌年家康方の勝利に終わった。4カ寺は追放されたが,83年(天正11)豊臣秀吉との対決を前にした家康は,4カ寺とも復帰を許した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む