知恵蔵 「三浦知良」の解説
三浦知良
伯父、叔父、実父ともにサッカーの指導者であったため、兄の三浦泰年(元・日本代表)とともに幼少の頃からサッカーに親しんで育った。小学生のときに城内FCへ入団。その後、静岡学園高等学校を8カ月で中退し、当時のサッカー先進国のブラジルへ単身サッカー留学する。日本人としての身体的不足を、絶え間ない訓練の積み重ねでカバーし、ブラジルにおいて各クラブの契約選手となり、日本人として初めてブラジル全国選手権に出場。ブラジルのサッカー専門誌の表紙を飾るほどの活躍を果たした。
1990年、Jリーグ発足を見据えて帰国。読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に移籍。92年Jリーグカップで所属チームを優勝に導く。96年にはJリーグ得点王となる。93年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。国際Aマッチ1試合で6得点は日本代表1試合最多得点記録(FIFA公式記録2011年時点)。94年にイタリア・セリエAのジェノアCFC移籍、アジア人初のセリエAプレーヤーとなる。
日本代表としては、93年、第15回FIFAワールドカップアメリカ大会・アジア地区1次予選突破に貢献したものの、最終予選の対イラク戦での引き分け(ドーハの悲劇)でワールドカップ本大会への出場はならず。また、次の第16回FIFAワールドカップフランス大会では、日本代表に選出されていたが、最終メンバーからは外された。だが、その後も日本代表として89試合に出場し、55得点を挙げている(2011年12月時点)。
FIFAワールドカップでは「ドーハの悲劇」や岡田監督の指示を無視した「感情的な独断シュート」への批判など悲運な面もあるが、結果的に日本人プロサッカー選手の海外移籍、活躍を後押し、日本人プレーヤーの質的向上に貢献したといえる。「ゴール後のパフォーマンス」を日本に定着させたカズダンスは有名で、サッカーを楽しいスポーツへ進化させた意義は大きい。
日本における最年長プロサッカー選手(2012年11月時点)で、ニックネームは「カズ」「キング・カズ」など。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2012年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報