三田四丁目(読み)みたよんちようめ

日本歴史地名大系 「三田四丁目」の解説

三田四丁目
みたよんちようめ

[現在地名]港区三田三―四丁目

北の肥前島原藩松平家下屋敷と三田寺みたてら町の間に位置する両側の年貢町屋。三田二丁目の丘の下にある低地だが、中央部は少し高くなっている。東は春林寺、西は陸奥会津藩松平家下屋敷および西蓮さいれん寺・長運ちよううん寺、南は三河奥殿藩松平家下屋敷および功運こううん寺。町の起立は三田一丁目に同じ。町域は数ヵ所に分れて入組んでいる。町内間数は小間二八七間、総坪数四千四三四坪。反別一町四反余。東側に奥殿藩松平家抱屋敷があった。同藩中屋敷へ囲い込まれたものだが年代は不明。表二四間、二四〇坪。文政一一年(一八二八)の家数二五七、うち家持一一、家主一一〇・地借五・店借一一〇(数値は史料どおり)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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