日本歴史地名大系 「三社五十人町」の解説 三社五十人町さんじやごじゆうにんまち 石川県:金沢市金沢城下第五連区三社五十人町[現在地名]金沢市長土塀(ながどへ)二丁目・芳斉(ほうさい)一丁目・三社町(さんじやまち)単に五十人町とも称した。長土塀(ながどへい)の西側からほぼ西に延びる三筋の通りを挟む両側町。南から上・中・下に分れる。西は三社福留(さんじやふくどみ)町などに続き、長さは上が一町三間、中が一町二〇間、下が一町三〇間ほど(皇国地誌)。北は三社川岸(さんじやかわぎし)・同中(なか)町に接する。江戸時代初期から足軽五十人組の組地であったことによる。元和四年(一六一八)それまで鉄砲組足軽を預かっていた小塚秀正(淡路)の死去にともなう足軽組の改変で、組地も石川郡明島(あからじま)村(現鶴来町)から城下の三社に与えられた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by