三良坂村(読み)みらさかむら

日本歴史地名大系 「三良坂村」の解説

三良坂村
みらさかむら

[現在地名]三良坂町三良坂

馬洗ばせん川の沖積平地に位置し、北は茅瀬かいぜ、東は灰塚はいづか、南は敷地しきじ(現吉舎町)の各村に接する。馬洗川北岸には尾道三次みよしを経て石見国を結ぶ石見路(赤名越)が通るため、集落は北側に集まる。

天正三年(一五七五)八月、毛利輝元が岡七郎兵衛尉・同鶴次郎に与えた宛行状(「閥閲録」所収岡六兵衛家文書)に「於三郎坂一所九日市事進置候」とあり、同じ輝元の井上就重・粟屋元種宛書状(同書所収尾川孫左衛門家文書)には「景山与三兵衛三良坂内持来給地四貫五百目事、彼者以後之儀者、対女子可遣之候」とあり、三良坂とも三郎坂とも記されている。元和五年(一六一九)の備後国知行帳は「見羅坂村」として高九〇一・一二三石を記すが、文政三年(一八二〇)の「国郡志下調書出帳」には三良坂村と記して「尤公儀ハ今に見羅坂村と書上申候」とある。村の中央石見路沿いに町人街が成立し、三谿みたに郡では吉舎きさ(現双三郡吉舎町)と三良坂町の二ヵ所に町制が布かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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