伊勢講(読み)イセコウ

デジタル大辞泉 「伊勢講」の意味・読み・例文・類語

いせ‐こう【×勢講】

伊勢参宮を目的とした旅費を積み立て、くじ代表を選んで交代参詣した。太太神楽だいだいかぐらを奉納するので伊勢太太講だいだいこうともいわれる。中世末より近世にかけて盛んに行われた。 春》

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精選版 日本国語大辞典 「伊勢講」の意味・読み・例文・類語

いせ‐こう【伊勢講】

  1. 〘 名詞 〙 伊勢参宮のために結成した信仰集団。旅費を積み立てておいて、籤(くじ)に当たった者が講仲間の代表として参詣し霊験を受けてくる。神宮に太太神楽(だいだいかぐら)を奉納するので太太講ともいう。伊勢太太(だいだい)講。《 季語・春 》
    1. [初出の実例]「けつけをやする伊勢講の銭 道者舟さながら算をおきつ浪」(出典:俳諧・犬筑波集(1532頃)雑)

伊勢講の補助注記

本来「講」は仏教上の集まりを指すが、神仏習合の潮流の中で現われた神祇講の一つ。

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改訂新版 世界大百科事典 「伊勢講」の意味・わかりやすい解説

伊勢講 (いせこう)

伊勢神宮への信仰をもとに結成された信徒集団。講集団のつねとして,村落共同体に根ざす素朴な信仰形態を基盤にした集団が,伊勢参宮(伊勢参り)に重きを置く方式をとるに至ったと推定されるが,その媒介のはたらきをしたのは御師(おし)である。神宮御師の活動は平安末期から見られるが,彼らの指導・斡旋により講の結成が明確に見られたのは室町初期で,《教言卿記(のりとききようき)》応永14年(1407)3月24日条に〈神明講〉とその〈講親〉〈頭人〉が現れるのが初見であろう。その後全国各地に広がり,ほとんど村ごとに伊勢講(または神明講,参宮講)が結成されるに至った。その多くは伊勢参宮を望む者の組織で,田畑山林の共有による収入,頼母子(たのもし)式金融による運営のもとに,くじ引きにより毎年2~3人の代参者を決定して参宮させるのがふつうである。その出発にあたっては,講宿に講中が集まり,デタチ(出立ち)の祝をする。まず天照皇大神の掛軸床の間に掲げ礼拝したのち,宴を張り,代参者に餞別を送る。講中や親戚・友人が村境まで送りに行く例も多い。神宮の地に着くと,明治初年までは神宮御師の制度があり,講ごとに御師が定まっていたので,その御師の宿坊に泊まり,御師の引導により内外両宮に参拝し,御師邸にて神楽の奉納をした。これは近世を通じてほぼ全国的な風潮であったから,一生に一度は神宮にもうでたいと念願する庶民はきわめて多かった。しかも代参者を中心に種々の民俗的慣習が保たれ,伊勢に代表される民俗的な聖地巡歴信仰がきわめて根の深いものであったことがわかる。たとえば,代参者の留守宅では,行路の安全を祈って,鎮守社への日参とか仮屋(かりや)への供饌を行い,さらにその帰着に際しては村境に出迎えてのサカムカエ(坂迎え)の宴,村に入る際の代参者の荘厳な村入り,帰着直後のハバキヌギ(西日本でドウブレ)の宴などが重要なものとして行われていた。また参宮者同士が一生涯を通じて兄弟の契りを結んで交遊を続けたことなども民俗的基盤の大きさをうかがわせるよすがとなるであろう。
伊勢信仰
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊勢講」の意味・わかりやすい解説

伊勢講
いせこう

伊勢信仰に基づいて組織されている講。神明講ともいう。神明とは神一般の尊称であったものが、のちには伊勢神宮をさす名称として用いられるようになった。多くの場合は参宮を目的に結成されているので、代参講となっている。ただ、鹿児島県北部にはオンジョ講と称して、老人によって構成されているものもある。こうした場合は、決まった期日に宿に集まって飲食を楽しむということが中心になるので、伊勢参りをするわけではない。

 普通は戸主が講員となり、回り番などによって決めた宿に集まって、天照(あまてらす)皇太神の掛軸をかけ、礼拝をしてから飲食をする。旧暦の1、5、9月と年に3回の集まりをもつ所や、毎月あるいは隔月、さらには年1回など、地域性や時代相によって変化がみられる。そこで、くじを引いて、1人ないしは2人が、皆で積み立てている掛け金で伊勢参りに行く。春の仕事前か秋の収穫後に行くことになるが、二年参りといって年末から年始にかけて出かけるものもある。出発の際には代参者が講員を招いて宴を催す。これをデタチなどという。帰還のときも村境まで坂迎えをし、ハバキヌギとかドウブルイという宴を開いて、神札や土産(みやげ)を贈る。同行した者同士はタビヅレなどといって、その後特別に親しいつきあいをすることもある。こうしたものとは別に、伊勢神宮と直接には関係をもたない伊勢講や、神明神社の存在に注意しなくてはなるまい。

[佐々木勝]

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百科事典マイペディア 「伊勢講」の意味・わかりやすい解説

伊勢講【いせこう】

伊勢参りを目的に組織された信仰集団。共同の積立金,または伊勢山や伊勢講田と呼ぶ山林田畑収入を経費にあて,代参者を順次派遣する。集落中の加入を強制する例もあり,若いとき一緒に参拝した仲間は生涯深い交際を結ぶ。帰村に際しては坂迎えといって村中総出で迎え,出会った所で盛大に飲食した。
→関連項目

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「伊勢講」の解説

伊勢講
いせこう

神明講とも。伊勢信仰にもとづき,参宮を目的に組織された団体。室町時代以降の記録に散見。伊勢神宮へ講員全体が参詣する惣参形式のものと,講員の2~3人が代表して参詣する代参形式のものとに大別される。代参の場合,出発のときに講宿でデタチという祝いをしたり,帰郷のときは村境まで出迎えて坂迎えという祝宴を開いた。各地の講と神宮参詣を媒介したのが伊勢御師(おんし)で,講ごとに師檀関係を結んだ。また,太々神楽(だいだいかぐら)を奉納する講中もあり,伊勢太々講といった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊勢講」の意味・わかりやすい解説

伊勢講
いせこう

伊勢神宮の参詣を目的に集った。本来は個人の信仰心に基づき,自由参加であったが,伊勢信仰の深さから村全体の組織になる場合が多かった。参加者は講員と呼ばれ,一家の戸主がほとんどである。参詣のための費用を積立て,共同出資で代表者を順次派遣するので代参講ともいわれる。代参者の出発または帰着に際しては,全講員が集って酒宴を催すのが通例であった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「伊勢講」の解説

伊勢講
いせこう

伊勢神宮崇敬者が参詣を目的として結成した講
参詣に必要な旅費を積み立て交代で参拝した。室町時代に始まり江戸時代参詣が盛んになると全国の農村に結成されるようになり,御蔭 (おかげ) 参り・抜け参りといわれる狂信的な形態も現れた。

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世界大百科事典(旧版)内の伊勢講の言及

【伊勢商人】より

…三井家の江戸進出は,伊豆蔵,富山,家城,中川といったすでに江戸に進出している豪商たちと親類関係にあり,その引立てが大きな力となったことはいなめないだろう。のちに江戸で有力呉服商10人が集まって伊勢講を結んでいる。このメンバーは富山,伊豆蔵,家城,小野田,桜井,三井である。…

【講】より

…東北地方の岩木山講,恐山講,出羽三山講,関東の上毛三山,武州御岳(みたけ),筑波山,三峯,大山の諸講,中部地方では,富士山の浅間(せんげん)講,飯綱(いづな),戸隠,木曾御嶽の諸講,近畿地方では大峰山の山上講,熊野三山講,中国・四国・九州では大山(だいせん),石鎚,金刀比羅,英彦(ひこ)山,阿蘇,霧島の諸講などが有名である。また著名な神社仏閣へ参る伊勢講,善光寺講,鹿島講,香取講,弥彦講,成田講,氷川(ひかわ)講,熊野講,熱田講,天神講,厳島講,住吉講,太宰府講,宇佐講などの参詣講が各地に結成され,住民の信仰心を満たしている。その方式には講の仲間全員が参加する総参り・総参(そうざん)講と,数名を代表者にえらんで行う代参講形式がみられるが,遠隔地では多く後者の形をとる。…

※「伊勢講」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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