日本歴史地名大系 「双三郡」の解説
双三郡
ふたみぐん
古代以来の
三地区のうち三次盆地南東部に位置する三良坂・吉舎両町は、世羅台地から三次市へ流入する
〔原始・古代〕
縄文時代の石斧や土器片の出土地が三良坂町・吉舎町・三和町などにあるが、本格的な発掘調査例はない。弥生時代になると遺跡数は増え、とくに馬洗川とその支流域の台地に多い。三次盆地の樹枝状に発達する低平な谷々の湧水地が、当時の稲作技術に好条件を与えたためであろう。三和町
三次盆地は県下で最も古墳の多い地域として知られる。近年の調査で三次市域に二千六五三基、双三郡に一千一八三基の所在が確認され、実際にはこれをかなり上回る古墳があるものと推定されている。双三郡のうち、馬洗川流域の吉舎・三良坂両町に九〇〇基(七六パーセント)が集中し、北部の作木・君田・布野三ヵ村に一三七基が、西南部の三和町に一四九基が分布している。また、郡全体で三一基ある前方後円墳のうち二四基が吉舎・三良坂両町に分布している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報