双三郡(読み)ふたみぐん

日本歴史地名大系 「双三郡」の解説

双三郡
ふたみぐん

面積:四六三・二六平方キロ
君田きみた村・布野ふの村・作木さくぎ村・三良坂みらさか町・吉舎きさ町・三和みわ

古代以来の三次みよし郡と三谿みたに郡が明治三一年(一八九八)合併して新たに成立した郡。郡名は三次・三谿双方に「三」の字がつくことによる。郡域は広島県北部の三次盆地を中心とし、その周辺諸地域からなっていたが、昭和二九年(一九五四)郡の中心をなす三次・十日市とおかいち両町ほか六ヵ村が合併、三次市として分離して以来、双三郡は三次市周辺部にそれぞれ異なった地域性をもつ三地区に分離して現在に至っている。

三地区のうち三次盆地南東部に位置する三良坂吉舎両町は、世羅台地から三次市へ流入する馬洗ばせん川とその支流沿いに立地、地形も比較的低平で、瀬戸内海の尾道市・福山市へ通ずる交通も発達し、両町で双三郡の人口の約半分弱を占め、人口密度も高く、第二次、第三次産業も発達する。三次市の北部、中国山脈南側斜面に細長く続く作木布野・君田三ヵ村は、いずれも島根県と境を接する北端と、三次市と境を接する南端とでは五〇〇メートル以上の標高差があり、面積の八割以上は山林という山村地域。三次市の南部に接する三和町は、世羅台地へつながる老年期地形上に立地する農村である。三地区とも三次市とは強く結びつき、三次市を媒体にして一つのまとまった地域を形成しているが、郡内三地区相互の直接の結びつきはきわめて弱く、郡としての一体性に欠ける。

〔原始・古代〕

縄文時代の石斧や土器片の出土地が三良坂町吉舎町・三和町などにあるが、本格的な発掘調査例はない。弥生時代になると遺跡数は増え、とくに馬洗川とその支流域の台地に多い。三次盆地の樹枝状に発達する低平な谷々の湧水地が、当時の稲作技術に好条件を与えたためであろう。三和町上壱の矢原かみいちのやばら遺跡では脚部に鹿の絵をへらで線書きしている高さ四八・五センチ、口径三五・五センチの脚付鉢形土器が出土。谷々に点在して生産活動に従事したためか、大規模な弥生集落跡の発見例はない。

三次盆地は県下で最も古墳の多い地域として知られる。近年の調査で三次市域に二千六五三基、双三郡に一千一八三基の所在が確認され、実際にはこれをかなり上回る古墳があるものと推定されている。双三郡のうち、馬洗川流域の吉舎・三良坂両町に九〇〇基(七六パーセント)が集中し、北部の作木・君田・布野三ヵ村に一三七基が、西南部の三和町に一四九基が分布している。また、郡全体で三一基ある前方後円墳のうち二四基が吉舎・三良坂両町に分布している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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