三郎太夫屋敷跡(読み)さぶろうだゆうやしきあと

日本歴史地名大系 「三郎太夫屋敷跡」の解説

三郎太夫屋敷跡
さぶろうだゆうやしきあと

[現在地名]押水町上田

上田うわだのほぼ中央部にあり、承応二年(一六五三)三月二三日に三郎太夫に宛てた前田利常判物(加賀藩史料)に「於能州羽咋郡押水庄上田村居屋敷三百五十歩之処、任天正年中先例之旨宛行訖、諸役等無相違令免除者也」とある。三郎太夫はもと末森すえもり城の三宅備後の家臣であったが浪人し、のちに奥村助左衛門に仕えた。幸若舞に長じていたため前田利家から上田村内で前記の屋敷高を拝領、寛永三年(一六二六)検地で相当高一石七斗五升が免除され、それが幕末まで及んだという(押水町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む