三隅庄
みすみのしよう
近世の三隅村(現三隅町)を荘域とする荘園で、立荘の経過などは不明。雑史「日向記」に建久年間(一一九〇―九九)に土肥遠平の娘を母とする伊東次郎祐朝が、長門国三隅庄の譲与を受けたとある。
南北朝期には矢部六郎左衛門という者が三隅庄地頭職にあったらしく、貞和二年(一三四六)の足利尊氏下文案(三浦家文書)に
<資料は省略されています>
とあり、仁保庄(現山口市)の平子彦三郎重嗣に勲功の賞として「三隅庄六分壱地頭職」を宛行っている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 