大津郡(読み)おおつぐん

日本歴史地名大系 「大津郡」の解説

大津郡
おおつぐん

面積:二〇五・八九平方キロ
油谷ゆや町・日置へき町・三隅みすみ

山口県の西北部に位置し日本海に面する。旧大津郡の中央部が長門市として独立したため、西側は油谷・日置の二町、東側が三隅町に分割される。海岸線は半島・湾・島など変化に富んだ入組みが多く、西に向津具むかつく半島に抱かれた油谷湾、東に青海おうみ(現長門市)に抱かれた仙崎せんざき湾、中央には深川ふかわ川の流れ込む深川湾がある。

天平九年(七三七)一一月の年号のある平城宮出土木簡に「長門国大津郡中男作物海藻陸斤 二連」とあり、海藻を平城宮へ送っている。「和名抄」の訓には「於保津」とある。「延喜式」(主計上)には長門国の調は綿・糸・雑鰒とするが「但大津、阿武両郡浮浪人調、充採銅鉛料」と記す。

〔原始〕

旧郡域では先土器時代の遺跡の発見はないが、縄文・弥生の時代から古墳時代にかけては深川川沿いの沖積地や向津具半島の基部の台地には人の住した痕跡がうかがえる。雨乞あまごい岳の南斜面にある雨乞台あまごいだい遺跡(日置町)や、長門市大字東深川の糘塚すくもづか古墳群がそれである。また向津具半島の油谷湾に面する安佐あんさ(油谷町)では有柄細形銅剣が出土しているが、これは大陸からの渡来品とされ、日本での出土例も西日本海岸部に限られるもので、当時の大陸との関係が考えられる。

〔古代〕

石見国の国府であった伊甘いかむ(現島根県浜田市)まで延びていた山陰道と山陽道を結ぶ「延喜式」にみえる古代の陰陽連絡路は阿武あぶ郡の参美さみ(現萩市)から大津郡に入り、三隅駅を経てまもなく山中に入り、由宇ゆう(跡地は現長門市域)を経て美祢みね郡へ抜けた。「和名抄」では大津郡の郷として三隅・深川・稲妻いなめ向国むかつくにおよび刊本はさらに日置ひおき三島みしま二処ふたい・神戸・駅家を記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報