改訂新版 世界大百科事典 「三隅氏」の意味・わかりやすい解説
三隅氏 (みすみうじ)
石見国那賀郡三隅郷を基盤にして石見西部地域に勢力を張った中世の在地豪族。系図等の記すところによると,石見益田御神本(みかもと)氏の一族で,益田兼高の次男兼信が三隅,木束(きづか),長安(ながやす)の地頭職を得て三隅高城に拠り,1229年(寛喜1)一家を創立して三隅氏を称したという。しかし実際には,中世三隅郷の成立は鎌倉後期ないし末期まで下ると推定され,郷名を冠する三隅氏の成立もまたこのころのことに属すると考えられる。1333年(元弘3)伯耆船上山に拠った後醍醐天皇のよびかけに応じてこれにはせ参じて以来,南北朝内乱期を通じて終始石見国における南朝方勢力の中心として各地に転戦した。その活躍のようすは《太平記》などに詳しい。世々三隅高城に拠り,石西地域に重きをなしたが,1570年(元亀1)毛利氏の攻撃を受けて三隅高城は陥落し,中世三隅氏の歴史もここに終止符が打たれた。
執筆者:井上 寛司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報