混用して系譜ともいう。先祖から代々の血統,続柄,家系を記述した文書をさす。狭義には,系譜は次第を追って血統と子孫の各個人の事歴を記述したものであるが,系図は血縁の継続状態をとくに系線によって図示し,そのつながりを一見して理解しうるようにしたものである。のち広義には系譜,家譜をも含め,家に付属する財産,所領,職業の継承を特記し,さらに僧侶の法脈・血脈(師資相承),寺院の住持の歴代,学術・武術をも含む諸芸の伝統をも表したものをいうようになる。あるいは血を意味するものかもしれないが,視覚的にもより明瞭になるよう,系線に多く朱を用いている。
血統は古くは《古事記》の神話にあるように,父子の間を〈甲の子乙〉,あるいは〈児乙〉と人名を列挙する形をとり,〈次丙〉(弟,妹)で兄弟姉妹の関係を示し,口頭に伝承されたものを記録したものである。〈次〉で示す兄弟の続柄の挿入個所の誤りのないように,〈--乙〉と線を引いてつなぎ,掛軸のように縦に紙を継ぎ,縦に次第して巻子に仕立てたものが,竪系図(柱系図)であり,最も原初的な形態であったと思われる。竪系図は世代を経るごとに兄弟が分出してゆくので,一定の紙幅に収容しきれなくなり,線を長く引くこともあるが,おのずから制限があり,支流はまた別に一巻に仕立てるようになる。また兄弟の個々の事歴を同列に記載することも困難であるため,巻子を横に用いて,通常の筆記法と同じく紙面の右から左へ横に縦書きし,縦線が父子,世代が変わると横線で兄弟を書き並べるようになった。これが横系図である。これも折本,冊子本が繙読に便利なため帳仕立てとなるが,なお正式な系図は鳥子紙等を用いた巻子装の横系図と考えられていたようである。横系図も世代を重ねると料紙の地に横線が数本も並ぶことがあるが,これは父子の縦線が次の縦線まで横に走っているにすぎない。江戸時代に入って,系譜一覧の便,また同族親類の婚姻,養子縁組等の関係を知るためであろうが,竪系図が世代を経るごとに急激に増加し縦に記載しきれなくなった結果,大きな方形の紙面に,始祖を中心に放射状に,全体的には円形にまとめられた系図が出現する。いわゆる車系図がこれで,図表的,便覧的なものである。
名称としては《続日本紀》養老4年(720)条に,〈日本紀……紀卅巻系図一巻〉とあるのが初見とされ,帝王系図と推測されているが,伝存しない。現存最古のものには,9,10世紀に書写された丹後国籠神社海部氏所蔵の海部系図(847成立,国宝),園城寺所蔵の和気系図(円珍俗姓系図,重文),伊曾乃神社所蔵(大倉粂馬旧蔵)の与州新居(にい)系図(凝然筆,重文)がある。系譜のまとまったものとしては,聖徳太子・蘇我馬子編纂とされる〈臣連伴造国造百八十部幷公民等本記〉(《日本書紀》)があったが,焼失してつまびらかでない。その後,691年(持統5)には大三輪,雀部,石上,藤原,石川,巨勢,上毛野,大伴,佐伯,穂積らの18氏に〈其祖等墓(纂)記〉を上進させている(《日本書紀》)。淳仁天皇の761年(天平宝字5)には氏族志の編纂事業をさせているが,恵美押勝の乱などのため完成しなかった。桓武天皇も799年(延暦18)布告して諸家に本系帳を上進させ,嵯峨天皇の815年(弘仁6)左右両京,畿内の1182氏の出自家系を,皇別・神別・蕃別に分類した《新撰姓氏録》31巻が完成しているが,いずれもほとんど逸亡し,現存のものはその抄略本である。奈良時代後半から平安時代にかけて,系譜官撰の影響もあり,皇室をはじめ諸家には系図が多く編纂所蔵されていたと考えられる。室町時代にそれら堂上公家,諸道の家,上級武家の系譜を私的に集大成したものが,洞院公定の《尊卑分脈》である。誤りも多いが貴重な史料である。洞院家数代をはじめ重訂増補を経て後世に伝写され,巻数順序も不同であるが,皇別(源平橘),神別(藤原氏を中心に),その他諸蕃として出自によって分類されており,後世の系図編纂に多大の影響を与えている。
近世に成立した公家系図には,《諸家伝》(《日本古典全集》所収),《増補諸家知譜拙記》(1838年まで),《地下家伝》(1844年,三上景文編集,《日本古典全集》所収)等がある。武家系図では,江戸幕府が諸大名,旗本に命じた家譜の書上げを集大成した幕府官撰の《寛永諸家系図伝》(漢文,和文の2種)がある。その後,この系図伝の続集を目的とし,編纂の体制を整備して《寛政重修(ちようしゆう)諸家譜》が1812年(文化9)完成したが,公刊されたのは1920年であった。これにもれた無嗣断絶,改易等の諸家については《断家譜》があり,ある程度その欠を補うことができる。新井白石編纂の《藩翰譜》は,1680年(延宝8)までの大名の家譜,系図を親藩,譜第,外様,絶家に分類してある。これをうけて,幕命により奥右筆,儒臣による《続藩翰譜》が1786年(天明6)までのものを編纂している。一方,水戸家の徳川光圀が《大日本史》編纂史料として儒臣等に命じ収集させた,諸方の名家伝来の系図を集成した《諸家系図纂》がある。塙保己一の《群書類従》には系図部に多くの系図,家譜を収録している。
幕府の寛永,貞享,寛政,弘化等,数次にわたる家譜書上げに刺激され,諸大名家でも,それぞれ家臣に家譜提出を命じており,提出されたままの形で清書されたもの,一定の方針のもとに編集されたもの等が各藩にあったはずである。細川家の数種の《先祖附》,尾張徳川家の《士林泝洄》,松江松平家の《列士録》,土佐山内家の《御侍中先祖書系図牒》《士族家譜》等々があり,通常〈先祖書〉あるいは〈勤書〉等と呼ばれている。その多くは,いろは順,組分け,席順等に次第している。数次にわたり年月,世代を重ねているため,後代のものは始祖の曾祖父,高祖父等の呼称が初代,2代等,代数に貼紙,書き換えられている例もある。
系図書上げ・集成の目的理由は,《寛永諸家系図伝》をはじめ,いずれも支配者側の家臣の忠功,主従の関係の親疎,親族等の実情の把握,統治の手段に必要とされたものである。家臣にとっては主君への忠誠・親近感の表明,家格の誇示を意識したもので,主従いずれの側にしても,主従間の縦のみの関係を知るべきものであったので公刊の必要性はなく,藩主等自身がとくに見知るべきもので,文庫に深く収蔵されてきた。近年,地方史編纂の史料集として公刊され,また公刊を企画されているものもある。武家の系図の特徴の一つに,家紋(旗標,幕紋)・槍印,本貫・生国の記載の規定があり,視覚的な紋章等は別紙に彩色・図示することが明示されていることが多い。これは家格の表象であり,戦場での武功の表示,認知に必要であり,本貫・生国は戦国以後の流転,仕官の経緯,身元の確認を意味しているのであろう。
明治政府も成立の当初,諸大名より家譜を上進させた。これに応じて,維新に際しての勲功を強調したそれぞれの《家記》が太政官に提出されている。当然のことであるが,徳川氏も《徳川諸家系譜》を新政府に対し書き上げている。維新史料編纂会により編纂の《現代華族譜要》(1929)は近年に至って旧華族よりなる霞会の《昭和新修華族家系大成》上・下として刊行され,これがまとまった系図集としては最新のものであろう。
古来天皇を頂点とする貴種,家柄尊重の思想門地を誇る気風があり,古くは世官世職として家職を世襲することが普通のことで,人は生まれながらにして,身分を規制され,実利の面よりも生活を規定されていた。このため,ともすれば,僭上心より,家系の偽称,偽作が行われたのは自然のなりゆきであった。小氏の者は大氏を称し,権門勢家に近いことを願って作為し,権勢の交替推移につれ変化し,次第に皇別の源平橘,臣家第一等の藤原氏等を称し,武家はことに,将軍源頼朝以来の武家の棟梁に固執して,源氏を称したものが多い。武士は下剋上の戦国期に身分が上昇したものが多く,家譜書上げに,遠祖を何とするか,苦心したところで,出身を有名な大氏,貴種に付会する家が多くあった。系図の古い部分はおおかた偽系図といえよう。〈系図買い〉の語の成るゆえんである。寛永の書上げより,寛政の書上げの間に出自の氏名を変えるものもあり,〈未勘源氏〉等の類別もある。しかし,始祖以後の系図はたいがい正確である。
偽系図のはんらんに対する真偽判定のための考証は系譜学の成立をうながす。西洋では16世紀以後,フランス,ドイツに発達したが,日本でも江戸幕府の家譜編纂の必要より,その萌芽が見られるが,本格的なものは明治以後のことである。系譜学は太田亮一人に終始するが,一本の系図の採るべき部分,真偽の判定の作業の方法,その説はまことに的を射たものである。
→族譜
執筆者:加藤 秀幸
旧約聖書の《創世記》《列王紀》にもすでに見られるように,統治者の正統性を家系から立証しようという関心は古いものである。貴族社会では称号の継承や紋章の作成のため,家系を立証することは重要で,貴族制度が現存するイギリスでは,1484年創設の紋章院College of Armsが紋章の認可とともに家系図の記録・保管に当たっている。紋章院はガーター勲章の調査の責任者Garter Kingと,トレントTrent川以南とウェールズを受け持つ紋章官Clarenceux King of Arms,トレント川以北と北アイルランド(1943年より)の責任者Norroy(& Ulster)King of Armsの3 Kingsが統括している。
家系を図示するのはヨーロッパ中世の写本や教会の窓に見られるイエスがエッサイの家系であることを示す〈エッサイの木(根または株)〉にさかのぼる。〈エッサイの木〉の最も古い記録は,1097年にギヨーム・ド・トゥルネGuillaume de Tournayが東方から〈エッサイの木〉をかたどった燭台をもたらしたというのにさかのぼり,12世紀に作られたサン・ドニ教会のステンドグラスにも見られる。旧約聖書《イザヤ書》第11章1節に,〈エッサイ(ダビデの父)の株から一つの芽が出てその根から一つの若枝が生えて実を結び,その上に主の霊がとどまる〉とあるのに基づき,眠っている老エッサイの胸または口から枝(またはブドウの蔓)が伸び,中央のキリスト像まで歴代のユダヤの王を分枝に描いたものである。この図も家系図も15世紀になってようやく例が多くなるが,西欧では家系を縦に図示するのが普通であった。称号の継承は3本線で示したので,図をツルの脚にたとえ英語ではpedigree(中世フランス語pez de gru)という。20世紀初頭にヨーロッパの全王族の家系図を調べたドイツの学者シュトラドーニツStephan Kekule von Stradonitz(1863-1933)は,家系図で当人には1,父に2,母に3,祖父母には4,5(母方6,7),曾祖父母には8,9,10,11(母方12,13,14,15)というように,男性には偶数,女性には奇数を振ってゆくことを勧めた。この方法では倍数は必ず父を表し,それに1を加えた数字が母を表すので,各人の細目をカード化したときも参照に便利である。家系図は虚栄心も支えるので偽の情報を含みやすい。たとえばフランスでは多くの場合16世紀ないし15世紀以前にさかのぼるものには慎重な注意が必要とされる。それ以後のやや確実と思われる資料もフランス革命や1871年のパリ市庁火災等で多くの本籍簿と古い教会の洗礼簿が焼失するなど,失われることが多かったからである。ちなみに王族貴族の年鑑として有名な《ゴータ年鑑Almanach de Gotha》(1764- )が江戸時代に日本にも渡来しており,静岡の徳川文庫に所蔵されている。
→系譜学
執筆者:松原 秀一
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祖先を記し、子孫の系統を明らかにするために、家系を図式化して示したもの。系譜、家譜(かふ)ともいう。洋の東西を問わず古くから神話、史書には血統の系列を示す記事がある。古代エジプトの碑にもみられる。
日本での現存最古のものは、9~10世紀ごろ成立の三井寺(みいでら)所蔵の和気(わけ)系図、京都府宮津町籠(この)神社の海部(あまべ)系図、大倉氏所蔵伊予新井(あらい)系図などである。その後、12世紀平安時代末から諸氏の系図が多く現れるようになった。系図の書き方には大別して縦系図と横系図という2通りがある。縦系図は紙を縦に継いで、系図も上から下へと書き継ぐもので、横系図とは、紙を普通の巻物のように右から左へ継ぐか、あるいは書物のように綴じ、系図も横に線を伸ばして書くものである。このうち、前者のほうが古い成立といわれている。南北朝時代に洞院公定(とういんきんさだ)が公家(くげ)武家の系図を集大成して『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』をつくり、後世の系図の基本とした。江戸時代になると徳川幕府の手で大名、旗本の系図を集成し、『寛永(かんえい)諸家系図伝』や、それを重訂した『寛政重修(かんせいちょうしゅう)諸家譜』をつくった。塙保己一(はなわほきいち)も諸家の系図を多く集め、『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』『続群書類従』に収めた。
系図は単に人の血統を表現するだけでなく、財産や政治的・社会的地位の継承を示すものとして尊重されるので、その記載をめぐって古くから虚偽や作為が仕組まれることが多かった。古代の「盟神探湯(くかたち)」が氏を正すために行われたというのも、系図の正確さを求めるものであった。中世以降においても、偽(ぎ)系図がみられたり、「系図買い」と称して系図づくりが横行するほどであった。
[飯倉晴武]
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…清和源氏・藤原氏・平氏・諸氏の4類,および医者・同朋・茶道に分け収録。1641年2月7日に太田資宗が諸家の系図を編修し差し上ぐべき旨の上意をうけ,同人が総裁,林羅山・鵞峰が編集責任者となり事業を推進,43年9月17日に両本都合372巻が献上された。献上の仮名本(続群書類従完成会より活字本刊行中)は内閣文庫に,真名本(重要文化財)は日光東照宮に所蔵されている。…
…系譜または系図を究める学問をさし,古くは古代オリエントにあって,神話上・伝説上の英雄に起源を求めた家系譜が作られている。新約聖書《マタイによる福音書》の冒頭の,アブラハム,ダビデ王からイエスにいたる系譜は典型である。…
…また,伝来の古文書を記載したものもある。系図が次・三男,女などを記載するのに対し,先祖書は直系のみを記載し,プライベートな記述がないことが多い。仕官のときや,家臣団の家系調査などのとき提出させた。…
…通行手形吟味のために関所,番所に備えられた判鑑はその代表例である。なお,家の系図に歴代の花押影を書き入れて判鑑と称した例(喜連川(きつれがわ)判鑑)もあるが,これは上記の判鑑と機能,目的を異にするものである。 明治以降,印章の証拠力が花押に優越するようになり,照合用の印影を登録する印鑑の制度が整うのにともなって,判鑑は効用を失った。…
…17世紀後期から18世紀中期にかけてのことである。
[行政機構の概要]
近世では,系図による身分の区別が用いられ,系図をもつ身分を士(系持(けいもち)),もたない身分を百姓(無系(むけい))とした。また,冠の色,文様による位階の区別も伝統を引き継いで行われた。…
※「系図」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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