日本歴史地名大系 「上の丸」の解説 上の丸うえのまる 兵庫県:明石市明石城下上の丸[現在地名]明石市上ノ丸一―三丁目・太寺(たいでら)三丁目明石城の北の丸の東側、本丸に続く台地上にあった明石藩の中・下級家臣の居住町。中(なか)ノ町・清水(しみず)町・立(たて)町・樹木(きき)町・新屋敷(しんやしき)町・六軒(ろつけん)町の名が知られているが、その位置・規模等については現在のところ不詳の部分が多い。文久三年(一八六三)の明石町旧全図には上の丸の各町名の記載はないものの、足軽組屋敷の記載などがみられる。明石城は台地の西端に築かれた城で、城の東側は台地に直接つながっていたことから、防衛上の重要拠点であり、本丸のすぐ北側に空堀、桜(さくら)堀を隔てて独立郭として北の丸が置かれたほか、薬研(やげん)堀・千石(せんごく)堀・空堀などさまざまな防御施設が整備されており、家臣団の屋敷地はこれらの施設の外、東側につくられ、一部は明石城築城当初から配置されていたと考えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by