日本歴史地名大系 「上中丸村・下中丸村」の解説 上中丸村・下中丸村かみなかまるむら・しもなかまるむら 埼玉県:北本市上中丸村・下中丸村[現在地名]北本市中丸一―一〇丁目・北中丸(きたなかまる)一―二丁目・朝日(あさひ)三丁目花野木(はなのき)村の南にあり、西は本宿(もとじゆく)村。西境を中山道が南東から北西に通る。上中丸村が北寄り、下中丸村が南寄りを占めていたとみられるが、両村境は錯雑して不分明であり、旧高旧領取調帳では中丸村として一括して記される。足立郡鴻巣領に属する(風土記稿)。田園簿では上中丸村は田三二石余・畑二一五石余、下中丸村は田三七石余・畑一七九石余、ともに幕府領で水損場の注記がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by