日本歴史地名大系 「宮村」の解説
宮村
みやむら
- 山形県:長井市
- 宮村
現長井市南東に位置し、市街中心部にあたる。東辺を北流する最上川と、北辺を北東流する
仏説大灌頂神呪経(北野神社文書)巻三の明応九年(一五〇〇)一一月九日付の奥書に「出羽下長井宮住 宥尊」とみえ、同月一二日・一三日・一五日の日付をもつ巻七・巻八・巻一〇の奥書にも同様の署名がみえる。永正六年(一五〇九)八月、伊達尚宗は上杉定実・長尾為景加勢のために「宮村殿」らに出陣命令を下し、片倉右京・片倉八蔵らに軍勢を催促している(同年八月一一日「国分胤重軍勢催促廻文写」奥羽編年史料所収文書)。天文七年(一五三八)の段銭古帳には「三十くハん百文 ミや」とある。伊達氏天文の乱のさなかの天文一四年九月二一日伊達晴宗は宮、越手(小出)、火神台(勧進代)各一円を片倉伊賀九郎右衛門に与え、翌一〇月九日、三所の棟役・田銭・諸公事を五年間免除している。
宮村
みやむら
飛騨街道
観応二年(一三五一)一月二〇日の足利義詮袖判下文(久下文書)に「飛騨国宮石浦郷地頭職」とみえるのは当地か。慶長一〇年(一六〇五)飛騨国郷帳では大野郡一宮郷に
宮村
みやむら
東は柴田郡
宮村
みやむら
- 京都府:福知山市
- 宮村
仁田付近の水田から石斧二個が出土し、由良川を上った弥生文化の
古代には
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
- 大阪府:羽曳野市
- 宮村
丹南郡に属し、
宮村
みやむら
宮村
みやむら
- 岐阜県:大野郡
- 宮村
郡の南部に位置し、東は
宮村
みやむら
- 大阪府:泉大津市
- 宮村
宮村
みやむら
宮村
みやむら
- 京都府:宮津市
- 宮村
慶長検地郷村帳に「下宮津之内」として「宮村」とみえるが、その後個別に高付され延宝三年郷村帳に「下宮津宮村」一五〇・六五七石と記される。同九年(一六八一)の延高により二三三石余、「内三斗九升七合宝性院八幡
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
紀ノ川中流北岸にあり、東は
慶長検地高目録によれば村高一六三石余、小物成八斗四升八合。
宮村
みやむら
- 富山県:砺波市
- 宮村
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
中世にみえる
宮村
みやむら
- 千葉県:東金市
- 宮村
宮村
みやむら
- 東京都:日野市
- 宮村
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
- 滋賀県:長浜市
- 宮村
長浜町の北地に接し、北は
宮村
みやむら
宮村
みやむら
宮村
みやむら
- 鳥取県:倉吉市
- 宮村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報