日本歴史地名大系 「上久須ヶ里」の解説 上久須ヶ里かみくすがり 佐賀県:小城郡小城町上久須ヶ里[現在地名]小城町大字池上(いけのうえ)字上久須牛尾(うしのお)山の東北部山麓から西(さい)川を越えた東側一帯の集落である。小字として西川(さいがわ)・久須籠(くすこもり)・中隈(なかくま)がある。正保絵図に「楠ケ里村」がみえる。嘉永六年(一八五三)写の大小配分石高帳には「久須村」とし地米(年貢)三一二石六斗四升とある。三岳寺領田畑屋敷等書上(三岳寺文書)によると、「小城郡西郷上久須ケ里、三岳寺領」とあり、村内にある医王山三岳(さんがく)寺の寺領である。享和元年(一八〇一)写の御領中郡村附では、上久須ヶ里の内「三岳寺門前村、水洗村、一丁田村、下片田村」を三岳寺領としている。また、上久須ヶ里の内「久保村、牧口村、野間村」は鍋島弾右衛門知行としている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by