日本歴史地名大系 「清浄院」の解説 清浄院しようじよういん 埼玉県:越谷市大松村清浄院[現在地名]越谷市大松栄広山浄土寺と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。開山は賢真。開山年次などは不明であるが、賢真が没したのは嘉慶元年(一三八七)七月二八日で、毎年七月二八日には開山忌が営まれている。中興開山は文誉宗公林窓。文誉は弘経(ぐぎよう)寺(現茨城県水海道市)の七世見誉悦公に師事した僧で、元亀二年(一五七一)寺を再興した。一〇世住持正誉諦運は寛永三年(一六二六)九月徳川秀忠室崇源院の葬送に際し納経・万部法事に加わった。 清浄院しようじよういん 愛知県:碧南市大浜村清浄院[現在地名]碧南市築山町湊橋(江川)畔の右側にある。南松山と号し、浄土宗鎮西派。本尊阿弥陀如来。大樹(だいじゆ)寺(岡崎市)のもと末寺。永禄二年(一五五九)家康から朱印地を与えられた七ヵ寺の一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清浄院」の解説 清浄院 せいじょういん 1582-1656 江戸時代前期,加藤清正の正室。天正(てんしょう)10年生まれ。水野忠重(ただしげ)の娘。徳川家康の養女として結婚。慶長6年忠広(2代熊本藩主)を生む。清正の死後剃髪(ていはつ),清浄院と号した。寛永9年忠広が改易処分となったのち,兄水野勝成(かつなり)の所領備後(びんご)(広島県)福山にうつった。明暦2年9月17日死去。75歳。三河(愛知県)出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by