朝日日本歴史人物事典 「上吉影村藤衛門」の解説
上吉影村藤衛門
生年:生年不詳
江戸時代の百姓一揆の指導者。常陸国(茨城県)茨木郡水戸藩領上吉影村(小川町)の庄屋であったが,藩の宝永改革による夫役徴発や年貢増徴に反対し,改革担当者松波勘十郎らの罷免を要求して,藩領全域の百姓およそ3000人と共に江戸にのぼり,支藩の守山藩邸への門訴や藩邸への出訴,藩主への駕籠訴(未遂)などをおこない,ついに改革の中止を藩に認めさせた。これを水戸藩宝永一揆という。藤衛門と共に闘争を指導した北領頭取らは,殺害されたという伝承(常陸太田市の岡部氏墓地の首切地蔵,小沢町の身代地蔵の伝承)があるほか,藤衛門も闇討ちにされたとの伝承が残る。<参考文献>林基「松波勘十郎捜索」(『茨城県史研究』29号ほか),江川文展『宝永一揆』,長須祥行『越訴―水戸藩宝永一揆の謎―』,瀬谷耕作『勘十郎堀』
(斎藤善之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報