上土底浜村(読み)かみどそこはまむら

日本歴史地名大系 「上土底浜村」の解説

上土底浜村
かみどそこはまむら

[現在地名]大潟村土底浜どそこはま

北国街道に沿った日本海沿岸の村で、北東は中土底浜村、南西下小船津浜しもこぶなつはま村。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「布施善衛門分上土底村 下」とみえ、本納一〇石五斗八升・縄高一斗九升七合、家四軒・一五人とある。正保国絵図に高三一石と記される。天和三年郷帳では「犀浜中」と一括される。元禄郷帳の高八四石二斗余は上土底新田との合計高と推定される。宝永七年(一七一〇)頃のものと思われる宰浜村々高寄帳(明治大学刑事博物館蔵)によれば、畑高一石二斗余・二反余、塩高七石一斗余・七反九畝余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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