日本歴史地名大系 「上大谷村・下大谷村」の解説 上大谷村・下大谷村かみおおやむら・しもおおやむら 神奈川県:海老名市上大谷村・下大谷村[現在地名]海老名市大谷(おおや)・浜田(はまだ)町・勝瀬(かつせ)・国分寺台(こくぶんじだい)一―五丁目東は早川(はやかわ)村・吉岡(よしおか)村(現綾瀬市)、西は中新田(なかしんでん)村・河原口(かわらぐち)村、南は杉窪(すぎくぼ)村・今里(いまさと)村、北は国分(こくぶ)村と接している。「風土記稿」は宝永七年(一七一〇)幕府直轄領の一部が旗本二氏に分給された時、旗本領を上大谷村、幕府直轄領を下大谷村と号したが、同書編纂時には上下の称を廃すと記している。しかし正保国絵図には「大谷村」のみであるが、元禄国絵図ではすでに上下に分れ、元禄郷帳・天保郷帳ともに上下二村に別記されており、合併の時期は明確ではない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by