上大貫村(読み)かみおおぬきむら

日本歴史地名大系 「上大貫村」の解説

上大貫村
かみおおぬきむら

[現在地名]塩原町上大貫

下大貫村の北、ほうき川左岸に位置し、中央部を塩原街道が南北に抜ける。承応元年(一六五二)洪水のために川筋より現在の東の高所に移転したと伝え、当時の草分七軒は七人衆といわれた。近世を通して大田原藩領。天正一八年(一五九〇)豊臣秀吉より安堵された所領のうちに「しほのや分」として上大貫三五〇石余がある(年不詳「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。慶安郷帳では高三五〇石余、田方二四五石余・畑方一四三石余とあるが合計は合わない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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