日本歴史地名大系 「上後村」の解説 上後村うえごむら 千葉県:富津市上後村[現在地名]富津市上後関尻(せきじり)村の南東、湊(みなと)川中流左岸、同川支流志駒(しこま)川右岸に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に上渡村とあり、高三八九石。寛文四年(一六六四)の松平忠勝領知目録(寛文朱印留)に村名が記され、佐貫藩領。支配領主の変遷は田原(たばら)村と同様。元禄郷帳では高四二三石余で、幕末まで同様。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数六五。天保一三年(一八四二)には小商人として炭薪木米穀商・炭薪木諸色商が一軒ずつあった(関家文書)。嘉永二年(一八四九)当村を含む嶺上四組合の一つでは下総小金(こがね)原の鹿狩に際し鹿狩役所の命令を受けて生きた猪三疋を下総高柳(たかやなぎ)村(現沼南町)まで運んだ。人足は当村と大和田(おおわだ)村・関尻村・寺尾(てらお)村で各二名、宇藤原(うとうばら)村・高溝(たかみぞ)村・田倉(たぐら)村・恩田(おんだ)村で各一名、押切(おしきり)村の組頭甚五郎が宰領を勤めた(三浦家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by