上河東村(読み)かみがとうむら

日本歴史地名大系 「上河東村」の解説

上河東村
かみがとうむら

[現在地名]昭和町上河東

北東は河東中島(かとうなかじま)村、西は河西(かさい)村、南は下河東村(現玉穂町)、北は飯喰(いつくい)村。前(まえ)川・丸堀(まるぼり)川・横堀(よこぼり)川・鑓取(やりとり)川が村内を南流する。天正一一年(一五八三)閏正月一四日の徳川家康印判状写(記録御用所本古文書)に「上河東」とみえ、同所の一五貫文・籾子三〇俵が本領として雨宮与十郎昌茂に安堵されている。慶長六年(一六〇一)と推定される検地帳(県立図書館蔵)では上田四町九反余・中田一三町五反余・下田一九町一反余・下々田七反余、上畑三町五反余・中畑八反余・下畑二反余、屋敷二町余、権現領三反六畝余、ほかに永不作三畝余、除地として妙福(みようふく)寺一七〇坪・善龍(ぜんりゆう)寺五八〇坪・神主六五〇坪、計四反六畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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