上玉里村(読み)かみたまりむら

日本歴史地名大系 「上玉里村」の解説

上玉里村
かみたまりむら

[現在地名]玉里村上玉里

玉里台地の中央にあり、北東は田木谷(たぎや)村。古くは田余(たまり)と記された。古代は「和名抄」記載の田余郷の本郷の地とされ(新編常陸国誌)、「常陸国風土記」は地名の由来を

<資料は省略されています>

と記す。桑原(くわばら)岳の遺称地はないが、現玉里村中央部の岡とする説がある。弘安大田文には南郡として、「田余七十三丁七段」とあり、康永二年(一三四三)の鹿島神宮領田数注文案(鹿島神宮文書)には「田余廿九丁小」とある。

江戸初期に水戸藩領となり、寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高に上玉里村として村高一千二七六石余のほか、新田四石余が記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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