上田波目村(読み)うわたばめむら

日本歴史地名大系 「上田波目村」の解説

上田波目村
うわたばめむら

[現在地名]日高市田波目たばめあさひおか

平沢ひらさわ村の東にあり、東は入間いるま駒寺野こまでらの新田高麗こま高麗領に属した(風土記稿)。もとは平沢村に属する原野で、元禄二年(一六八九)同村の左太夫・三右衛門の二名により開墾され、以後分村したと伝える。当時は幕府領(同書)。元禄郷帳に平沢村枝郷として上田波目村があり、高三二〇石余。延享三年(一七四六)三卿の一橋領となり、以後幕末まで続く(旧高旧領取調帳など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む