日高市(読み)ヒダカシ

デジタル大辞泉 「日高市」の意味・読み・例文・類語

ひだか‐し【日高市】

日高

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日本歴史地名大系 「日高市」の解説

日高市
ひだかし

面積:四七・四八平方キロ

県の南部に位置し、東は川越市・狭山市、西は飯能市入間いるま毛呂山もろやま町、南は飯能市、北は坂戸市・鶴ヶ島市。西部を蛇行しながら東流する高麗こま川は新堀にいほり付近で流れを北東へ転じ、坂戸市へと流入する。東部小畔こあぜ川とその支流がいずれも南から北東へ流れる。南西部を高麗丘陵が東西に走る。ほぼ中央を南北にJR八高線が通り、高麗川こまがわ駅が設けられている。同駅から東へJR川越線が分岐し、武蔵高萩むさしたかはぎ駅がある。八高線西側を並行して主要地方道飯能―寄居よりい線が走り、東部を国道四〇七号が縦断する。南西部は西武池袋線が国道二九九号と並行して高麗川沿いを走り、高麗駅・武蔵横手むさしよこて駅がある。

〔原始・古代〕

市域は地形上から南西部の高麗丘陵と、高麗川右岸平坦地や谷津が深く入込んでいる高萩地区に二分され、分布している遺跡の特徴も二分される。高麗丘陵地域には縄文時代の遺跡、寺院跡、瓦窯跡がある。縄文時代の遺跡では、前期の上野うえの谷戸やど遺跡、中期の高麗石器時代住居跡(国指定史跡)があり、高麗小学校庭内こましようがつこうていない遺跡も中・後期の集落跡として知られている。寺院跡は高岡たかおか廃寺・大寺おおてら廃寺がある。高岡廃寺は出土した遺物の検討から八世紀中葉から一一世紀初頭まで存続していたことが確認されている。大寺廃寺からは礎石を伴う建物跡が検出されており、須恵器・各種の瓦・風鐸が発掘されている。高岡瓦窯跡は高岡廃寺より高麗川に近い丘陵先端近くに位置しており、武蔵国分寺(現東京都国分寺市)と同一の瓦が出土している。高麗川右岸の平坦地や高萩地区の台地上は、ほとんど遺跡が占めるといってよいほどで、旧石器時代の遺構、縄文時代の集落跡、奈良・平安時代の遺跡の多くがある。旧石器時代の遺跡は南小畔みなみこあぜ川右岸に面する台地にある下向山しもむこうやま遺跡で礫群一ヵ所が発掘され、この遺構および包含層からナイフ形石器・尖頭器・細石核が出土。同じ南小畔川右岸に面するゆるやかな台地端に立地する向山遺跡では、縄文早期の押型文土器を伴う竪穴住居跡六軒が発掘されている。縄文中期の遺跡ではみやうしろ遺跡・宿東しゆくひがし遺跡が発掘調査されている。奈良・平安時代では、上猿かみさる谷戸やど遺跡で奈良時代の竪穴住居跡と掘立柱建物跡が発掘調査された。また新宿しんじゆく遺跡・堀の内ほりのうち遺跡・古道ふるみち遺跡・若宮わかみや遺跡などの平安時代の遺跡が並んでいる。若宮遺跡は地名から女影おなかげ廃寺ともよばれ、寺域内と考えられる所からは溝跡や土壙などが発掘され、各種瓦・須恵器・鉄製品・瓦塔などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日高市」の意味・わかりやすい解説

日高〔市〕
ひだか

埼玉県中央南部,秩父山地の東麓にある市。1955年高麗川村と高麗村が合体して日高町となり,1956年高萩村を編入,1991年市制。入間川支流の高麗川沿いに位置し,奈良時代初期,高麗(高句麗)からの渡来人が集団移住した土地。新堀に高麗王をまつった高麗神社があり,国指定重要文化財の大般若経 456帖など数多くの文化財がある。谷口集落高麗本郷はかつて市場町として栄えた。東部の旭ケ丘には第2次世界大戦中,飛行場が建設され,戦後その跡地は農業地域となった。中部の原宿,南平沢にはセメント工場などが立地。JR川越線,八高線,国道407号線沿いに大規模な住宅団地が建設され,宅地化が進む。南西部にある巾着田(きんちゃくだ)は,高麗人が入植したときに高麗川の蛇行に沿って巾着型に開いた水田であったが,今日では乗馬や河原でのバーベキューなどが楽しめる場として整備され,また群生するヒガンバナで知られる。面積 47.48km2。人口 5万4571(2020)。

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