上田流(尺八)(読み)うえだりゅう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田流(尺八)」の意味・わかりやすい解説

上田流(尺八)
うえだりゅう

尺八の流派名。都山(とざん)流より分かれ、1917年(大正6)に開流。流祖は上田芳憧(ほうどう)。芳憧(1892―1974)は大阪の商家の長男。本名喜一。14歳で中尾都山に弟子入りし、4年後に奥伝免許と佳山の号を受け、翌年准師範が許されて尺八指南の看板を掲げた。1912年(明治45)には都山流の最高職格にまで進んだが、自作の新曲を公認なしに公演したことから、流内の批判と師の不信を招き、ついに破門、独立。記譜法、奏法、流の制度などは都山流を継承しつつも、レパートリーは、流祖作曲の新本曲(ほんきょく)(『五月雨(さみだれ)』『落葉』『雪の夜』など)や、流祖編曲の外曲(がいきょく)や、古典本曲など独自のもの。近畿以西に地盤をもつ。現家元は芳憧の長男上田佳道(かどう)。

[月溪恒子]

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