上知識村
かみちしきむら
[現在地名]出水市上知識町・上知識・中央町・大野原町・向江町・知識町・平和町・文化町・緑町・黄金町・六月田町
六月田村の南西、米ノ津川下流域の平坦地に位置し、南は武本村、北は下知識村。江戸時代の初めまでは下知識村・荘村、西目村(現阿久根市など)と一村で、知識村と称していたが、寛永(一六二四―四四)頃に分村して、それぞれ一村となった(出水郷土誌)。知識は知色とも書いた。「出水名勝志」は上知識・辻・郡山・上松の四ヵ村を枝村としてあげる。庄屋所は八坊に置かれた。
中世には和泉庄のうちとして推移した。同庄の下司を勤めた和泉氏(伴姓)の一族に地内の尾崎城(知色城)に拠って勢力を振るった知色氏がいる。文和三年(一三五四)六月、南朝方の和泉庄下司政保や知色氏ら同庄の名主たちは山門院木牟礼城(現高尾野町)に在陣していた北朝方の島津貞久を攻めた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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