大阪府南西部にある市。堺(さかい)市の南に隣接する。1956年(昭和31)和泉町と北池田、南池田、北松尾、南松尾、横山、南横山の6村が合併して市制施行。1960年八坂(やさか)町と信太(しのだ)村を編入。市名は和泉国国府の所在地に由来する。地形は北から南へ、和泉海岸平野、信太山台地、泉北丘陵、和泉山脈と階段状に高くなる。市街地は平野部に発達し、古道小栗(おぐり)街道(中世熊野街道)、JR阪和線、泉北高速鉄道、国道26号、170号、480号、阪和自動車道などが通る。古くから開発され、弥生(やよい)時代の大集落跡の池上曽根遺跡(いけがみそねいせき)(国指定史跡)や景初3年(239)銘の青銅鏡出土で有名な和泉黄金塚古墳(こがねづかこふん)などがある。国府が置かれると、和泉国の政治、経済の中心地となった。近世には、周辺農村の生産する「和泉白木綿」の集散地として知られ、明治以降は織物工業の町に発展した。第二次世界大戦後は、台地、丘陵部の開発が進み、婦人子供服団地の進出をみた。人造真珠やガラス細工、繊維工業などが盛んである。近郊農業として花卉(かき)栽培があり、ミカンの生産も多い。大阪市のベッドタウンとして住宅地開発が進んでいる。古社寺が多く、泉井上神社(いずみいのうえじんじゃ)境内の和泉五社総社の本殿(1605年建立)は国の重要文化財。欽明(きんめい)天皇勅願による施福寺(せふくじ)は西国三十三所4番札所で付近一帯は森林が多く金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)の一部。また、寺宝として多くの重要文化財を蔵する松尾寺などがある。面積84.98平方キロメートル、人口18万4495(2020)。
[位野木壽一]
『『和泉市史』全2巻(1965、1968・和泉市)』
福井県最東端、大野郡(おおのぐん)にあった旧村名(和泉村(むら))。現在は大野市の南東部を占める地域。九頭竜(くずりゅう)川の上流に位置する。1956年(昭和31)上穴馬(かみあなま)村、下(しも)穴馬村が合併し和泉村と改称。1958年石徹白(いとしろ)村の一部を編入。2005年(平成17)大野市に編入。1963年、九頭竜川電源開発工事のため、旧上穴馬村の全域および下穴馬村の2集落の住民が岐阜、愛知県に移住した。旧村域の中央部に九頭竜ダム(1968年完成)があり、東から西に貫流する九頭竜川に沿って国道158号が走り、岐阜県との境にある油坂峠で中部縦貫自動車道と接続する。また旧村の中心である朝日までJR越美北線(えつみほくせん)が開通している。耕地は全面積の2%程度で、おもな産業は観光である。恵まれた自然環境を生かして国民休養地、温泉、スキー場などがある。九頭竜川の支流、大納(おおの)川上流に鉛、亜鉛を産した中竜(なかたつ)鉱山があったが、1987年に休山。
[印牧邦雄]
『『和泉村史』(1977・和泉村)』
大阪府南西部,堺市の南に接する市。1956年和泉町と南池田,北池田,南松尾,北松尾,南横山,横山の6村が合体,市制。人口18万4988(2010)。市域は南北方向に延び,南の和泉山脈から泉北丘陵が北へ広がって信太山にいたり,槙尾川と松尾川がこの丘陵・台地を開析している。JR阪和線が通じる中心の府中町にある泉井上神社境内の〈和泉清水〉は和泉の国名の発祥地で,奈良・平安時代にはここに和泉国府が置かれ,熊野街道(小栗街道)が南北に通過していた。江戸時代の伯太(はかた)は渡辺氏の伯太藩陣屋町であった。江戸時代からの和泉木綿の伝統を継承して綿織布工場が多く,また毛織物,模造真珠,ガラス細工の工業と婦人子供既製服工場団地がある。阪和線沿いの住宅開発に続いて,市域北東部の光明池周辺の丘陵が泉北ニュータウンに入り,1977年泉北高速鉄道が開通して宅地造成が急速に進められた。阪和自動車道の岸和田和泉インターチェンジがある。市内には農業用溜池が多く,丘陵地農村ではミカン,花などを生産し,南部の槙尾山付近は金剛生駒国定公園に属している。
執筆者:服部 昌之
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